『イギリス花粉学者の科学捜査ファイル:自然が明かす犯罪の真相』2022/10/5
パトリシア・ウィルトシャー (著), 西田美緒子 (翻訳)

 目に見えない小さな花粉が、隠された真実を暴きだす……死体や衣服、車に残された花粉や菌類を手がかりに、どのようにして殺害場所や時刻を特定し、消えた死体のありかを発見し、犯人の嘘を見破るのか? 数々の難事件の真相究明に貢献したイギリス法生態学のパイオニアのウィルトシャーさんが語ってくれる、波瀾万丈の人生と科学捜査の奥深い世界です。
 ところで「法生態学」とは聞きなれない言葉ですが、犯罪を解決する仕事を手助けするために、自然界のさまざまな特徴を活用して分析する専門家のことを言うそうです。その範囲は、植物学、花粉学、菌学、細菌学、昆虫学、寄生虫学、人間、動物、植物の生体構造の科学、土壌と堆積物の科学、統計学、その他多数の「・・学」で、「結果を得るには、一種の勘に頼ることも多い。そうした感触は、自然界を全体として観察する経験と、実証科学を駆使して答えを見つけるという経験を何十年も積み重ねたうえで、はじめて得られるものだ」そうです。
 本書で紹介される最初の事件では、死体を隠した場所まで犯人のあとを追っていくことができた手がかりは、回収した微小な遺留物(アメリカツガの花粉とウラボシ科エゾデンダ属のシダの胞子)でした。ウィルトシャーさんは次のように語ります。
「自然は私たちの体の中にも外にも、あらゆるところに手がかりを残している。私たちは誰でも周囲の世界に痕跡を残しながら生きているが、周囲の世界もまた私たちに痕跡を残している。ときには手こずることがあっても、どこを見ていればよいかを知っている人に、自然は必ず秘密を明かしてくれる。」
 目に見えないほど小さい花粉や胞子は、驚くほどたくさんの情報を与えてくれるようです。
「花粉や胞子のような微細で目に見えない代理指標は、目に見えないからこそ、とりわけ貴重なものだ。見えないから取り除くことができない。自分についていることに気づかず、もし気づいたとしてもすっかり払い落とすことは難しいだろう。その人がどこにいて何をしていたかを示す秘密の記録となりうる。」
 ……確かに、そうですね!
 そしてこの本で驚かされたのが、花粉や胞子の途方もない丈夫さ! 次のように書いてありました。
 犯行現場などから採取した試料(泥水)には、強力な酸をかけて不要な土壌の物質(石英(砂)、粘土、セルロース(繊維素)、リグニン(木質素)、フミン酸)を除去するそうですが、なんと石英やリグニンまで溶かしてしまう(!)ほど強力な酸をかけられた後でも、花粉と胞子は残るそうです!
「(前略)花粉粒、胞子、菌類の残骸、昆虫、甲殻類の動物の外皮は、どれも信じられないほど耐久性のある高分子物質を含んでいるので、この手法による荒っぽい扱いにも持ちこたえることができる。そのような高分子物質は、植物の場合はスポロポレニン、菌類と動物の場合はキチンだ。」
 ……ええー凄い! と感心してしまったのですが、実は花粉や胞子の丈夫さはこんな程度のものではなく、「考古学的分析」に役立つほどの保存性があるのです。
「花粉粒と植物の粒子は驚くほど頑丈だ。それぞれがスポロポレニンと呼ばれる複雑な高分子物質でできた外壁をもち、その化学的性質の詳細は今もまだ解明されずにいる。一部の古植物学者と地質学者が断言するように、適切な条件の下では数百万年ものあいだ持ちこたえる。」
 なんと白亜紀の堆積物からも発見されているそうです。さらにそれだけでなく、腸内からも発見できます。
「腸内から見つかる花粉と胞子は、たいていの場合は実に良好な保存状態にある」
 ……古代人の腸からも見つかるのです。うわー、そんな凄いものだったんだ……。
 実はウィルトシャーさんは、科学捜査を頼まれる前は、遺跡発掘現場とその周辺で見つかった堆積物(花粉)を分析して、古代の風景の変遷などを解明していく仕事をしていたのです。その方法を現代の科学捜査に、試行錯誤しながら応用していったのだとか(本書でその様子を詳しく知ることができます)。
 この本は、目に見えないほど小さい花粉の分析で、犯行を否認している真犯人の嘘を暴き出していく過程が、推理小説以上の展開になっていって、わくわくさせられるだけでなく、ウィルトシャーさんのかなり過酷で波乱万丈の人生や、科学捜査の現実も明らかにされていくので、本当にページをめくる手を止めることができなくなります。推理小説好きの方(特に「科警研の女」などの科学捜査系)には、特にお勧めしたいのですが……部分的にかなりグロい描写もあるので、それに耐えられない方にはお勧めできません(捜査の現実は過酷です……)。
 それにしても……「花粉や胞子が真実を語ってしまう」ので、どんな隠し事もできないですね! しかも花粉は負の電荷をもっていて、正の電荷をもつものに引きつけられるので、衣服の繊維の中に潜り込む性質もあるそうです。
 この科学捜査は、犯罪現場で起こった事実を明らかにするのに、とても役立ちそうに感じました。
 犯罪現場で植物、土壌、動物、菌類、草木の乱れ、足跡を見極め、それから証拠に結びつく材料を最大限に手に入れるためには、現場の調査には、最初に花粉学者、昆虫学者、考古学者が入り、他の科学捜査官と病理学者がその後に入るのが適切だと、ウィルトシャーさんは考えているようです。
 さて「法科学(フォレンジック・サイエンス)」は、犯罪の事実を立証できる「証拠」を見つけるために、さまざまな分野の知識を利用する科学のこと。「フォレンジック」は、「得られた証拠はすべて訴訟に関係がある」ことを意味し、「訴訟に関係することを前提として実行されたものではない仕事は、フォレンジックではない」ので、証拠物件は最新の注意を払うことが絶対条件だそうです。
 そのためウィルトシャーさんは、証拠物件を他のもので「汚染」させないよう細心の注意を払い、偏見なく事実を見極めるよう、いつも自らを戒めているのだとか。証拠物件が「花粉などの超微細なもの」や「DNA」などの場合は、他のものの「汚染」は致命的な影響を与えるので、これは厳重に注意して欲しいと思います。科学捜査に最も期待するのは、「真実を明らかにすること」なのですから。
 ……それにしても私たちは、見えないものをたくさん身にまとって生きているんですね。それどころか、次のようなことも書いてありました。
「(前略)食べ物と水には微量の放射性物質が含まれていて、それが私たちの軟組織、骨、毛髪、爪に蓄積していることに、ほとんどの人は気づいていない。世界中のあらゆるものには、放射性同位体という形で独自の放射性物質の痕跡が蓄積しており、その痕跡のおかげで私たちは生まれてからの自分の地理上の動きをたどることが可能だ。一本の歯がその人の生まれた場所を示し、大腿骨は過去十年以内の旅について教えてくれる。十年以内なのは、骨が十年ごとにすっかり入れ替わる(代謝回転している)からだ。毛髪と爪が伝えてくれるのは、もっと最近に世界のどこに行ったかという情報だ。(中略)
 空気は食べ物からエネルギーを取り出すために必要な酸素を供給してくれるが、私たちの体は呼吸をしながら、空気を吸った地理的位置の痕跡を残すことができる。空気には放射性同位体だけでなく、さまざまな粒子と破片が含まれている。」
「(前略)ほとんどの人は、自分が呼吸とともにこの「飛散胞子」(空気中を漂っているさまざまな微粒子。通常は花粉粒、胞子、有機物の断片、埃)と呼ばれるものを吸い込んでいることには気づいていない。」
 ……そう言えば、古代人の腸からも花粉を見つけられるんでした。まさに「天網恢恢疎にして漏らさず(天網は目があらいようだが,悪人を漏らさず捕らえる)」という感じですね……。
 科学捜査の一端を詳しく知ることができる本でした。現実に起きたさまざまな事件で、「科警研の女」みたいな感じに「花粉」などの微細な証拠から、犯行の真実に迫っていくので、すごく読み応えがあります。ぜひ読んでみてください。お勧めです☆ (ただしちょっぴりグロもあるのでご注意を)
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