『事故がなくならない理由(わけ): 安全対策の落とし穴』2012/9/14
芳賀繁 (著)
鉄道、医療、バス、原発、温泉施設……事故が起きるたびに、責任が問われ規制が強まり対策がとられますが、それらの対策によって「安全・安心」は高まったと言えるのでしょうか? 事故や病気や失敗のリスクを減らすはずの対策や訓練が、往々にしてリスクを増やすことになるのは何故なのかについて、人間の心理とリスク行動の観点から考察している本です。
著者の芳賀さんは、登山・山岳に関係する雑誌の記者から、興味深い話を聞いたことがあるそうです。それは雪崩に巻き込まれた人の居場所を知らせてくれるビーコンに関する話。
「ところが、このビーコンが普及するとともに、従来は危険で誰も近づかなかったような場所に登山家が入り、雪崩にあうケースが増えてきたというのだ。救助隊員たちは、遭難事故が減らないばかりか、救助活動が困難で二重遭難の危険が高い場所に行かなければならないケースが増えて困っているという。」
また、1993年にノルウェーの一部地域では、トラックドライバーがスキッド訓練を受けることが法的義務となったそうです。ところがこの法改正によって事故が減らなかったどころか、かえって事故リスクが増大してしまったのだとか! (注:スキッドとはタイヤと路面の摩擦力が失われてコントロールが利かなくなり、クルマが横滑りしたりスピンしたりする現象)
実は、私たち人間には、「訓練や装置などのおかげで安全になった分を、自ら食いつぶす」傾向があるようなのです! この本には次のような記述がありました。
「事故や病気や失敗のリスクを減らすはずの対策や訓練が、結果として事故や病気や失敗のリスクを低下させられないのはなぜか。それは肝心の人間がリスクを増やす方向に行動を変化させるからである。この現象を「リスク補償」という。
リスク補償行動とは、低下したリスクを埋め合わせるように行動が変化し、元のリスク水準に戻してしまうことをいう。細くて見通しの悪い道路から幅の広い直線道路に出たドライバーがクルマの速度を上げたり、雪道をノーマルタイヤでのろのろ走っていた車がスノータイヤに履き替えたとたんにスピードを出したりする現象が典型である。」
「つまり、リスクをとることは利益につながるので、人々は事故や病気のリスクをある程度受け入れている。その「程度」がリスク目標水準である。安全対策で事故が減った場合、人々はリスクが低下したと感じ、リスクを目標水準まで引き上げようとする。なぜならベネフィットが大きくなるからである。したがって、リスク目標水準を変えるような対策でない限り、いかなる安全対策も、短期的には成功するかもしれないが、長期的には事故率は元の水準に戻ってしまうと予測する。」
……うわー、私自身にも、なんだか思い当たることが……耳が痛いです(汗)。
個人的には自分の性格を、すごく慎重な方だと思ってはいますが、自らを成長させるためには、どうしても「リスクを取らなければならない」ことも多かったような気がします。自分には「まだ不可能なこと(自分にとってリスクがある事象)」に少しずつチャレンジしていくことによって、自分の出来る範囲を少しずつ拡張していくことが、成長に欠かせないからです。だから一般的な人間が「安全対策で生まれた余裕を食いつぶす」傾向を示してしまうのは、単に人間の無鉄砲な性格によるものではなく、「少しずつ危険を冒す」ことで成長してきた学習の現れ=向上心によるものの方が大きいのではないかと思います。
そういう意味で、リスクは単純にゼロにすればいい、というものではないと思います。
また現実的には、リスクはベネフィットとの兼ね合いで考えるべきだとも思います。本書の中には、次の記述がありました。
「(リスクマネジメントとは、)あらゆるリスクに対応するのなく、限られたリソースを効率的に配分して、重大なリスクから先に手を打とうとする、極めて合理的かつ冷徹な発想である。」
「「リスクはゼロにはできない」という前提を受け入れつつ、リスクに目をつぶるのではなく、リスク情報を積極的に集めて、優先度の高い対策から順次実施することによって、事故が起きる前に対策をとることを重視するのである。」
本当にそうですよね。
そもそも「リスク」をゼロにするのが困難なだけでなく、どんなに安全対策を行っても、人間は、自らの許容範囲の上限までリスクを取ろうとする傾向があるのかもしれません。そういう人間性も踏まえた上で安全教育を施し、「リスクはゼロにはできない」という前提を受け入れた上で必要な安全対策を施す、そんな合理的な対応が求められているのではないでしょうか。
安全について、いろいろなことを考えさせられる本でした。「安全対策」に興味のある方はぜひ読んでみてください。お勧めです☆
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