『織物の世界史: 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか』2022/12/20
ソフィ・タンハウザー (著), 鳥飼 まこと (翻訳)

 織物産業の闇も含めて、繊維織物と人間のかかわりの歴史を、じっくり紹介してくれる本です。
「はじめに」には、次のように書いてありました。
「現代社会では、(中略)どこを旅しても、目にするのはTシャツ、ジーンズ、ジャケット、スカートばかりで、そのどれもが二大素材、つまり綿と石油からできている。そして同時に、そういったすべての衣服を作る責任を負っている生産システムは、世界じゅうのどこでもより排他的になり、より中央集権化し、少数の巨大企業に集中するようになっている。(中略)その陰で、かつては最も大衆的で、世界じゅうで広く親しまれてきた人気の芸術――織物づくり――は、職人の手からほとんどこぼれ落ちてしまった。」
「人類学者の推定によると、産業化する以前の時代には、少なくとも食物を生産するのと同程度の時間を、人々は布作りに充てていたそうだ。」
「(前略)産業革命以降、織物や衣料品の製造作業に携わる労働者には常に危険がつきまとっていたが、史上最も多くの犠牲者を出した四件の衣料品工場事故のうち、実に三件が二〇一〇年代に起きている。また、織物作りは数世紀にわたって環境にダメージを与えつづけてきたが、今日では、織物産業は世界の排水の五分の一を生み出し、世界の炭素排出量の一〇分の一を排出している。」
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 そしてリネン、綿、絹、合成繊維、羊毛の順番で、織物の世界史が語られていきます。私たちにとって身近な「織物」ですが、労働集約的な産業なだけに、産業が始まった当初から、労働搾取(とりわけ女性と黒人、原住民)が行われてきたようでした。
 合成繊維の衣服を着ると汗でかぶれることがあるので、綿がとりわけ好きな私でしたが……実は綿は最も罪な繊維(織物)のようで……読みながら悲しい気持ちになってしまいました。だからといって、合成繊維なら罪がないかというと、まったくそんなことはなく、どの繊維も何かしらの問題を抱えていることを知りました……。
 さて、本書の最初の章は、「人類がはじめて織物にした繊維」と言われているリネンから始まります。
 人類が最初に衣服に利用したのは、動物の皮だと思われますが、その次は、植物の繊維を編んだもののようです。36000年前の地層から、染色された粉末状の繊維(リネン)が見つかっていて、どうやら古代から栽培もされていたようです。
またこの章では、ミシンの発明にも言及されていました。
 そして次に登場するのが、私の大好きな「綿」。でも綿貿易は、植民地支配と奴隷貿易で生まれたもので、現在でもなお労働搾取(人権侵害)と、環境汚染が世界的に広く行われているそうです(涙)。
「綿は信じられないほど大量の水を必要とする作物で、薬品も集中的に使用されており、その量は全世界の農薬使用量のおよそ二〇%を占めている。」
 ……テキサスでは綿はぎ機で収穫するために毒性の強い農薬が使われているとか、インドでは綿生産のリスクのすべてを農家が背負わされ、綿紡績工場では女性の労働搾取が行われているとか、中国の新疆ウイグル自治区では、水が干上がり、労働搾取が行われているとか……爽やかな綿織物からは想像もつかない闇があるようです……。
 うーん……ならば、少なくとも汗をあまりかかない季節には、綿はあきらめてペットボトルの再利用も出来る合成繊維を多用することにするか……と思いつつ読み進めていったら、なんと合成繊維にも闇が。
レーヨンの製造工程では、神経毒性の強い二硫化炭素という溶剤が使用されていて、その身体および精神の健康への危険性が科学的に証明されたにも関わらず、それを使った製造が続けられ、低賃金で働かされる労働者はどんどん倒れていったそうです(涙)。
 そしてレーヨン以外の合成繊維については……
「合成繊維を支配したのはデュポンだった。ナイロンを発明したことにより、初期において特許を有する強力な地位をものにしたのである。(中略)一九六〇年代までに、デュポンはレーヨン、アセテート、ナイロン、アクリル、ポリエステル、スパンテックス、フッ化炭素という七種の異なる線維と、その七種からさらに派生した三〇〇〇種の繊維を生産するようになっていた。」
 ……これらの合成繊維は手入れが楽だっただけでなく、色も鮮やかで、市場から歓迎されました。ただし……その鮮やかな合成染料には、毒性があるものもありました……。
「織物染色は世界で最も環境を汚染する産業の一つで、世界の排水の二〇パーセントを排出しているという。」
「マイクロファイバーは海におけるプラスチック汚染のおもな原因となっている。」
 ……うーん、そうだったんだ。すると一体、何を着るべきなんだろう? どうして、こんな状況になっているんだろう? これについて著者は、次のように言っています。
「衣料品ブランドは、世界のどこであれ一番安く引き受けてくれる相手に製品の製造を委託し、消費者の目に映る自分たちと現場の真実を引き離す。なんとも単純な話だ。」
 ……なるほど。華やかなファッションには目をひかれますが、その織物がどのように作られていたかには、あまり関心を向けていなかったことに気づかされました……。
 ところで、この「華やかなファッション」、「パリコレ」に代表されるように、ヨーロッパの華やかなファッションの中心地は「フランス」ですが、こんな状況になったのには、実は、仕掛け人がいたようです。それはルイ十四世とコルベール。彼らは、それまでヨーロッパファッションの中心だったスペインに対抗するため、ある改革を行いました。
「ルイ十四世とコルベールは二人で高級品産業の改革を行った。(中略)外国産の製品に対して重い輸入税を課し、外国産のレースや布、装飾品などの輸入を全面的に禁止とした。フランスの職人を支援するための別の政策では、コルベールは一年に二度、季節に応じて衣替えをすることを義務づけ、一一月一日、さっそく廷臣たちには軽やかな絹織物ではなくベルベットやサテンの服を身につけることが求められた。これをきっかけにファッションにおけるシーズンが生まれる。コルベールの暦によって、リヨンの織物産業に予測可能な周期が伝えられたからだ。人々が何着も服を購入せざるをえなくなるよう、コルベールは生地の柄を毎年変えるよう指示し、一年遅れの服装をしていたら一目でわかるようにした。一六六八年、ルイ一四世は宮廷人たるもの「流行を追いつづけるべし」という布告を発し、厳格な服装規定を設けた。」
 そしてフランス宮廷の服装雑誌が世界じゅうに送られ、フランスの流行や様式が外国にも広まりました。これが絶大な経済的成果を生むことになったそうです。
 ……なるほど……「流行」っていうのは、まだ着られる服を「時代遅れ」にするために、最初から意図的に作られていたんですね(……まあ、気づいていましたけど。そして最近は、流行をあまり気にしない人が増えているようで、とても嬉しく思っています。その方がお金もかからないし、気楽に過ごせるので(笑))。
 この他にも、南北戦争で軍服のための大規模な採寸データが集められたおかげで「標準サイズ」が登場し、戦争終結後には軍服工場が男性向け衣料品工場になったなど、織物・衣料産業の歴史を、幅広く知ることが出来ました。
 衣料産業にはいまだに闇の部分も残っているようですし、「流行づくり」と「大量生産」は、残念ながら「大量廃棄」をも作り出しているようにも思います。未来の社会には、このような浪費や労働搾取などがなくなっていくよう、私も微力ながら自分の出来ることをしていきたいと思いました。
『織物の世界史: 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか』を、闇の部分も含めて幅広く紹介してくれる本でした。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
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