『計測の科学: 人類が生み出した福音と災厄』2024/1/4
ジェームズ・ヴィンセント (著), 小坂恵理 (翻訳)
ナイル川の年間を通しての深さを測定することが重要な任務であった古代エジプトから、フランス革命時に作られたメートル法、さらにメートル法とインチ・ヤード法との間の驚くほどの対立から、現在のGoogleなどによる「数値化された自己」の時代まで、測定が抑圧と統制のツールとしてどのように使用されてきたかを深く探求している本です。
「はじめに」には次のように書いてありました。
「(前略)計測は世界じゅうに満ちあふれている。しかも、秩序を維持するための原則である計測の影響がおよぶ範囲は、見たり触れたりするものに限定されない。この原則は社会の無形のガイドラインでもあり、時計やカレンダーから仕事の報酬や罰則まで、様々なものの参考にされる。」
「計測は世界に本来備わっている特性ではなく、人類が発明して定着させたものだ。」
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とても面白かったのは、メートル法の創造時の話。「メートル」がフランス革命という動乱の時期に創造されたことが不思議だったのですが、フランス革命は「民衆の革命」、民衆は権力者によって恣意的に利用されがちだった計測単位に怒り、「ひとりの王、ひとつの法律、ひとつの重量、ひとつの計測単位」の実現を強く求めていたことが背景にあったそうです。そこで18世紀末、フランス革命と並行して、フランスの知的エリート層のサヴァンによってメートル法が創造されました。
「(前略)度量衡を統一すれば、封建制度に伴う不均衡の一部が取り除かれ、共和主義が目指す政治的平等が補完されることが期待された。労働力や環境など、変化を予測できない要素に計測が左右されては困るので、今後は人間とも汚職とも無関係な要素に基づく度量衡が必要だと判断したサヴァンは、地球に注目した。そこで地球を計測し、新しい長さの単位となるメートルを定義するプロジェクトが始められ、七年間におよぶ一大事業には、当時の最高の知識人の多くが参加した。最終的にメートルは、北極から赤道までの距離の一〇〇〇万分の一と定められる。それと同時に質量の基準となるキログラムは、一立方デシメートルの水の重さと定義された(各辺が一〇分の一メートルの立方体に入る水の量)。こうした新しい単位は、科学者が計算した結果を革命裁判所が決定したもので、これなら世間一般に受け入れられるとサヴァンは太鼓判を押した。なぜなら、人間にまつわる事柄との関係を断つために抽象化されたからだ。これなら公平で変化のない単位として通用するはずだった。」
……なるほど! 「公平で変化のない単位」のために「地球の長さ」や「水の重さ」を使おうということだったんですね! 素晴らしい発想だ☆ ……でも、そのために地球の長さを図らなければならなくなって……しかも地球は思っていたほど完全な球体でないことが計測の途中で明らかになっていくなど、大変な困難に直面しつつ、なんとか乗り越えて「メートル」が決められたのです。……おお、人類の素晴らしい偉業! ……のはずが、それまで利用されていたヤードなどのローカル(?)な度量衡側の抵抗はすさまじく、また民衆の革命熱もじょじょに冷め……メートルは苦難の道を歩まされることになったのでした……(涙)。
「メートル」がたどった道も苦難の道ですが、「温度」もまた苦難の道でした。スウェーデンのグスタビアヌム博物館には、セルシウスが発明した世界最初の摂氏温度計があるのですが、それが信頼されるようになるまでの試練が、次のように書いてありました。
「こうした信頼性の確立は計測の基本中の基本だが、温度測定が始まった当初は信じられないほど難しかった。(中略)
そもそも基準となる信頼性のある温度計を所有していなければ、温度計の信頼性をどのようにテストすればよいのか。セルシウスをはじめとする科学者のおかげで、いまの私たちは水が摂氏0度で凍り、摂氏100度で沸騰すると断言できるが、信頼できる温度計で計測できるようになる以前には、どうやってその事実を立証したのか。(中略)
こうしたジレンマは計測の歴史で一貫して見られるが、ジレンマからはこの学問分野の課題が浮上するだけでなく、効用が生み出される。つまり不確実性を何とか計測しようと努力するうちに、新しい知識が構築される。するとその結果、世界についての理解は必然的に見直されるのだ。セルシウスの温度計は、この事実を物語っている。」
……水は場所によって成分が違うとか、沸点には微妙に一貫性が欠けているなどの問題に対して、精製水を使うとか、沸点ではなく蒸気を使うなど、いろいろな努力をして対処してきたようです。
……そして今や温度計は「人間の触感をはるかに上回る」ようになり、「科学機器は人間の経験に代わり、現実について判定を下すようになった」……確かに……すごく寒く感じていても、温度計に「19℃」などと表示されていると、うーん……気のせいなのかなーと思ってしまうようになってるかも……(苦笑)。
さて現在では、メートルもキログラムも原器ではなく自然の値(光速やプランク定数など)が用いられるようになっていますが、それは科学や社会の進展に伴い、「求められる精度」が原器では満たせなくなったなどの理由によるそうです。実はキログラム原器は、時代を経るうちにオリジナル原器がわずかに軽くなる一方で、各国の原器の方は重くなってしまっていて、他の原器でも同様の問題が発生していたのです。さらにヤードとポンドの原器が、一八三四年のウェストミンスター旧宮殿の火事で焼失したなどの問題もありました。
そんななか、アインシュタインの特殊相対性理論によって「宇宙のどこでも光の速度が一定である」ことが確認されたので、一八九三年にメートルの定義が再び見直され、光速を基準にするものに変更されることが決まったのだとか。
「(前略)計測を支えてきた柱はひとつずつ取り除かれ、その代わりに、物質的な世界とは関係のない定義が採用された。測定単位を物理的な原器と結びつける代わりに、いまではメートルは自然界の基礎定数を使って定義される。それなら、現実に内在する特質だと確信できる。たとえばメートルは、もはや金属棒の長さと等しくない。光が二億九九七九万二四五八分の一秒に移動する距離である。」
……生まれた時から当たり前にあるものだとしか思っていなかった「長さ」「重さ」「温度」などの基準(計測)は、こんなにも多くの人々の知恵と苦心の賜物だったんですね……。
そして計測は次のような統計学の発達も促しました。
「(前略)統計データの発達は間違いなく社会改革を促した。特に公衆衛生と保険の世界への影響は大きかった。病気や事故の数を大がかりな規模で把握できる能力が手に入ると、政府や企業が介入する機会は増えた。そして統計から得られた教訓は、しばしば直接的な効果を素晴らしい形でもたらした。」
今や、計測はあらゆる規格にまで広がっています。なかでも驚かされたのが、米国立標準技術研究所(NIST)の標準物質(SRM)の話。NISTでは、次のようなピーナツバターの標準物質(SRM)など、一二〇〇種以上を創造しているそうです。
「(前略)これを購入するバイヤーは、炭水化物、たんぱく質、砂糖、繊維の比率が、スプーンでどの部分をすくっても同じであるだけでなく、様々な有機分子や微量元素がミリ単位まで同じ比率で全体に行き渡っていることを確信できる。(中略)このSRMは、NISTが業界や政府の求めに応じて創造した、現代の計測学のバイブルであり、どの項目も、私たちの生活の見えない場所で行われる計測の重要性の証である。何かの検証や点検が必要なときは、それが新しいディーゼルエンジンの排出レベルにせよ、高出力レーザーで使われるガラスの光学特性にせよ、SRMのカタログに掲載されている規格と照合すれば正しさを確認することができる。」
……こういう物質が、大量生産製品の品質を保証してくれていたんですね!
そして……
「二十世紀に入ると、計測の活動は規模が拡大し、驚くほど数が増えた。いまやNISTは多くの機関のひとつにすぎず、およそ一四〇ヵ国に独自の規格関連の組織がある。」
……ISOなどの規格もその一つです。
「いまや計測という概念は偏在し、民間部門だけでなく、医療や取り締まりなど、定量化がそれほど必要とされない国家の活動の分野にも浸透している。」
テクノロジー・ジャーナリストのゲイリー・ウルフさんは、「これからも定量化は進む」と予想しているそうです。
「(前略)データを利用して決断することは、いまや生活のほぼすべての側面で標準になった。数字への執着は、現代の経営者の明確な特徴になった。敵対的な株主と向き合う企業幹部は、あらかじめたくさんの数字を準備する。」
……確かにそうですね! 政治でも、医療でも、スポーツでも、教育でも……数字をもとにした科学的アプローチがどんどん進められています。
『計測の科学: 人類が生み出した福音と災厄』……計測が生まれたことで社会にどんな変化が起こって来たかの歴史を詳しく紹介してくれて、とても参考になる本でした。計測だけでなく、文字が生まれた歴史(紀元前7500年前からメソポタミア文明 富に関する情報を刻んだクレイ(粘土製)トークン→粘土製容器(ブッラ)にトークンを入れてグループ分け→ブッラ表面にトークン模様刻印→絵文字代わりのシンボル→楔形文字に)に関する情報などもあります。みなさんも、ぜひ読んでみてください。
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