『名画の生まれるとき 美術の力II (光文社新書 1161)』2021/10/19
宮下 規久朗 (著)
カラヴァッジョ研究の第一人者で博覧強記の美術史家の宮下さんが語る、美術エッセイ集です。名画のカラー写真も数多く掲載されていて、とても見ごたえがあります。
「まえがき」には次のように書いてありました。
「元来、美術というものは歌謡曲や映画とちがって、すぐに誰にでも入ってくるような安易なものではない。言語と同じく、ある程度の素養が必要であり、センスや好き嫌いではなく、前提となる知識があってはじめて理解でき、感じることができるものなのだ。こうした知識は日本の学校教育では得られないが、美術館に足を運び、適切な美術書を読むことによって培うことができる。」
「(前略)自分がよいと思ったらそれが名画だということではない。そのような個人的な趣味ではなく、ある造形物が社会的・文化的・歴史的な意味や価値を持つとき、それは美術作品となり、そのうちでとくに質が高くて力のあるものが多くの人に見られ、語られることによって、名画や名作になるのである。そのような名画でなくとも、ある種の力を持っている作品は無数にあり、名画への途上にあるものも多い。「名画の生まれるとき」というタイトルはそのような意味でつけた。」
そして「第一章 名画の中の名画」では、カラヴァッジョの『聖マタイの召命』で、マタイはどの男かに関する論争や科学調査などの他、とても興味深い話題をたくさん読むことが出来ました。
ここで、とりわけ興味深かったのが、レンブラントの『夜警』の話。
「『夜警』は十八世紀にアムステルダム市庁舎に移されたとき、その壁面に合わせて上部と両端を大きく切り取られた。最近、アムステルダム国立美術館はこの失われた部分を、十七世紀の縮小模写とレンブラントの原画をAIに読み取らせて復元した。六十センチほど失われた左側の部分には新たに二人の男と一人の少年が出現し、全体の構図も、それまで画面中央にいた隊長と副隊長がやや右にずれて印象が少し変わったようだ。美術館では、数カ月間この復元部分を原画にくっつけて展示するという。なじみ深い名画でも、修復や復元によって印象が変わりうるという興味深い例である。」
……この話は知りませんでした。ここでは、『夜警(原画)』と、復元された部分をつけた『夜警』の両方の写真を見ることもできます。
また「第二章 美術鑑賞と美術館」では、「ミュージアムは墓場」という見方が意外でした。
「(前略)ミュージアムとは、野原で咲いている花を切り取って枯れないように保存処理を施し、分類に従って展示するような施設にほかならない。近年注目を集める世界遺産のように、広大な地域全体をミュージアム化させて当初の場所でモノを見せる試みが増えているのは、そうした切花展示への反省からであろう。」
「保存上・防犯上の本来の文脈に置いておくのが無理で、どうしてもミュージアムに移送する必要がある場合には、本来の場所にレプリカを置いておくというやり方もよいだろう。」
「(前略)ミュージアムにあるモノは死物であり、ミュージアムは墓場にほかならないが、それゆえに独特の雰囲気が雰囲気が生まれるのである。墓場でも霊廟でも、宗教施設特有の厳粛な空気と緊張感が漂っているが、よいミュージアムには必ずそれがある。」
……なるほど、そう言われれば、なんとなく納得(苦笑……単純すぎ)。そして、本来の場所にレプリカを置くべきという意見には大賛成です!
この後の、「第三章 描かれたモチーフ(特定のモチーフに注目して美術を眺めて比較する)」では、アイヴァゾフスキー『第九の波頭』、『波』(写真あり)という知らなかった名画のすばらしさに興奮させられました。これは凄い。
また「第四章 日本美術の再評価」では、「月が煌々と照らす雪の竹林に、一匹の飢えた狐がさまよう」を描いた木島櫻谷『寒月』や、『月下遊狸』が取り上げられていました。これらはNHKの番組「日曜美術館」で見た時にも魅了されましたが、やっぱり素晴らしい作品です。どうして夏目漱石が酷評したのか、まったく理解できません。宮下さんも言っているように「近代日本美術史上の一大傑作であることはまちがいない。」と思います。必見です。
さらに「第五章 信仰と政治」では、ジョージ・フロイド追悼壁画に見るアメリカのストリートアートの底力、「第六章 死と鎮魂」では、美術の生まれたわけの考察など、とても読み応えがありました。
さて、宮下さんは「自分がよいと思ったらそれが名画だということではない。」と言っていますが、正直に言って個人的には、美術専門家ではない一般人は、「好き嫌い」で絵画鑑賞をして構わないと思っています。とりわけ宮下さんが研究しているカラヴァッジョの作品を見る時には、画家について知識を持っていることは、この画家の作品を鑑賞するのに必要なのだろうかと疑問を感じないではいられません。
この本にはカラヴァッジョの名画が数点掲載されていますが、どれも素晴らしい名作です。が、カラヴァッジョ自身は問題児そのもの(犯罪者)です。例えば、『洗礼者ヨハネの斬首』という作品は、ローマで殺人を犯したお尋ね者の画家カラヴァッジョが、マルタ騎士団に入団しようとやってきて描いたもの。この絵のおかげで彼は首尾よく騎士になれたのですが、早くもその一か月後には高位の騎士の家を襲撃して重傷を負わせて投獄されてしまいました(その後脱獄)。この絵の前で、彼の騎士剥奪と追放が決定したそうです。これらの話は有名なので、彼の作品を見るたびに思い出さずにはいられませんが、絵画自体は、とにかく技術力が物凄く高く、強い印象を心に残さずにいられない名作です。美しい若い女性がリュートを演奏している『リュート弾き』などの作品を見ると、ああ、この絵は、なんの偏見ももたずにただ無心に眺めたかったなー……と思ってしまうのです……。
もっとも、やはり美術に関する知識がある方が、より深く絵画を鑑賞できると思うこともあるので、一般人としては「美術知識はあってもなくても、それなりに楽しめる」ことは間違いないでしょう(笑)。
美しい名画を眺めつつ、美術の知識を学べるエッセイ集でした。楽しく美術の教養を身につけられる美味しい本だと思います。ぜひ読んで(眺めて)みてください☆
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