『ブレインテックの衝撃 ――脳×テクノロジーの最前線 (祥伝社新書)』2021/9/30
小林 雅一 (著)
念じるだけで意思を伝えることができる……そんなSFのような技術が現実になりつつあるそうです。2021年4月には、米国のニューラリンク社が、脳波でゲームを操るサルの実験動画を公開して世界に衝撃を与えました。スタンフォード大学は、手足が麻痺した男性の脳にデバイスを埋め込み、1分間で90文字の入力に成功しています。AIと競合していく時代に入った現在、この技術は人類の救いの手となるのか? 国内外で加速する研究の最前線から、医療やマーケティングへの応用事例、法的・倫理的な問題点までを解説してくれる本です。
なお、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)とは、コンピュータをはじめ各種マシン(機械)を「私たちの脳」と接続し、双方の間で直接情報をやり取りする技術のことです。
『ブレインテックの衝撃』。……このタイトル通りの衝撃的な内容に、読みながら思わず絶句してしまいました。こんな未来が本当に到来するのだろうか? それは人間にとって進化につながるのか、それとも絶望につながるのか……読み終わった今でも判断がつかずにいます。
ブレインテックは、現在はまだ、障害者の支援やIT機器の入力装置、脳の測定装置などに使われているだけですが、将来は人間の能力を拡大するために使おうという研究が急ピッチで進んでいるようです。
例えば、AIやロボットによって仕事が奪われることが懸念されている職域では、新たに生まれる職域へ大量の人員をスムーズにシフトさせられるかが問題になりますが、人間の教育には時間がかかるという教育の限界があります。ならば、いっそ私たちの脳をコンピュータやインターネットに直結させて、新しい職業に必要となる技能や知識を脳に直接ダウンロードしてしまえ、ということを考えているブレインテック研究者もいるようです。
「第1章 脳と機械を融合させる」には、すでにブレインテックの一部は、実用化されていることが紹介されていました。例えば、脳波を測定するEEGや、脳内各部の活動状況を測定するfMRIなどは医療用診断技術に使われています。また、パーキンソン病、癲癇あるいは鬱病など一部の神経・精神疾患に対しては、脳深部刺激療法(DBS)というある種のBMIが新手の治療法として確立されているそうです。この脳深部刺激療法(患者の脳に小型電極を埋め込み、微弱な電気刺激を与えることで各種症状を鎮静化する治療法式)は、すでに2020年には、世界全体で年間11億ドルの市場規模になっているのだとか。
そして「第2章 脳から心を探り操る科学の最前線」では、米国のブレインゲート研究支援プロジェクト(2006年に実施された臨床試験では、ALS(筋委縮性側索硬化症)の患者が脳から念ずることでコンピュータのカーソルを動かし、翌2007年には脳卒中で身体の麻痺した患者が同じく思念で車いすを動かすことに成功した)や、ケース・ウエスタン・リザーブ大学の臨床研究(患者の脳から発せられた信号が損傷した脊髄をバイパスして外部のコンピュータに送信され、これが脊髄の代役を果たすことによって、再び腕を動かせるようになる)の他、日本の慶応大学の取り組み(非侵襲型BMIで脳卒中の患者のリハビリを行った)など、さまざまな研究が紹介されています。
また「第3章 ブレインテック・ビジネスの光と影」では、身体に無害の近赤外光を用いて脳の血流状態を測定し脳の活動状況を可視化できる「光トポグラフィー」技術や、脳内の静脈血管へ網状センサーを挿入する「ステントロード」技術なども紹介されていました。ステントロードは、首の付け根からカテーテルを差し込んで静脈を通して脳まで到達させるので頭蓋骨を切らない手術が可能だそうで、身体麻痺患者のリハビリなどを想定しているとか。……どんどん進んでいるんですね。
このような状況には、もちろん賛否両論があるようです。
「(前略)(脳の物理・化学的性質はかなり解明されてきたが、意思や感情、意識や心の仕組みは現在でもほとんど謎につつまれている)つまり最も重要なことが未だ解明されていない中で、脳に半導体チップや(ステントロードのような)センサーを埋め込んだところで、一体何ができるというのか? 脳科学者の中には、このようにBMIに対して否定的な姿勢を示す人も少なくない。
これに対しBMIを積極的に推進する人たち、たとえばマスク氏のようなIT分野の関係者は「それでもかまわないから、やってしまおう」というスタンスである。
それは非常にプラグマティック(実利的)な考え方に基づいている。(中略)(身体麻痺などの患者を長い間待たせるのは、)むしろ非倫理的であろう。たとえ極めて限定的であったとしても、現時点で解明されている脳科学の範囲内でBMIの技術開発に着手し、できる限りのスピードで実用化を進めていこう――これがBMI推進派の基本的な考え方なのである。」
「(前略)こうした大義名分のもとに、ニューラルリンクやフェイスブックなどIT企業が私たちの脳内にまで進出してくることには、個人データやプライバシー保護の観点から懸念の声も聞かれる。」
「一部の識者によれば、近い将来、悪質なハッカーや犯罪集団などが、脳に埋め込まれた半導体チップを介して私たちの心身を自由に操ってしまう恐れがある。つまり私たちが彼らの操り人形になってお金を渡してしまったり、逆に詐欺の片棒を担がされるなど思わぬ犯罪に手を染めてしまうかもしれないというのだ。
またビデオゲームのメーカーがBMIを使って、ユーザーの脳をゲーム依存症へ変えてしまうなどのシナリオも囁かれている。」
……やはり、なんらかの規制が必要なのかもしれません。こうした状況のなか、慶應義塾大学の牛場純一教授ら世界のBMI研究者たちは、サイエンスに論文を投稿して次の3点を主張したそうです。
1)法的責任の明確化(BMI誤作動で事故が発生したら責任は誰がとるべきか)
2)脳の個人情報の保護
3)技術情報の正確・迅速な開示(発展途上の技術なので可能性や悪影響が不明)
この他にも、コロンビア大学のユステ教授らの「ニューロライツ・イニシアティブ」運動や、OECD(経済協力開発機構)のブレインテックのガイドライン(「責任あるイノベーション」「安全性評価の優先」「技術乱用の監視」など9つの原則提示)などの動きがあるそうです。
さらに「第4章 身体性の拡張と強制的進化の未来」では、DARPAの非侵襲型BMIによるドローンの遠隔操作などのさまざまな取り組みの他、米国のバッテル社の直径20ナノメートルの粒子状マシン「ナノトランスデューサー」という驚きの研究が紹介されていました。
「このような微粒子を静脈注射で数百億~数兆個も脳内へと送り込むと、脳全体で1000億個にも達するニューロンのスパイク情報をつぶさに読み取ることができる。
これら大量の電気信号を無線で外部に送信することによって、ドローンや軍用車などをリモート操縦することができる。また逆に、それら外部のマシンから人間の脳へと直接信号を送るなど、脳と機械が相互に情報をやりとりできる。つまり人間とロボットが共同作業できるようになるという。」
ええー! まさか、そんなことが……と思わず戦慄していたら、さらに、米国のライス大学が、合成タンパク質の遺伝子コードを組み込んだウイルス・ベクターを脳細胞に送り込むことで、兵士(ユーザー)が脳からマシンを操作するシステムを開発中、なんていう研究まで!
脳科学と遺伝子工学の融合としては、スタンフォード大学の「光遺伝学(遺伝子を運ぶウイルス・ベクターの力を借りて、光に敏感に反応するタンパク質を脳の神経細胞に組み込む技術)」の研究もあるそうです。
「こうした遺伝子操作を受けたマウスの頭部に、光ファイバーや発光ダイオードを埋め込んで、それらが発する光で脳細胞を刺激すると、外部から自在にマウスをコントロールすることができる。」
うーん……なんか恐ろしい時代に突入していきそうな……。
AIも遺伝子操作技術も、人間の想像を超えた展開を見せていきそうで怖いですが、ブレインテックもそれと同じ状況にあるようです。個人的には、「ゆっくり慎重に」進めて欲しいと思いますが……その一方で、障害や高齢化で起こる問題の克服、AIやロボットに負けないための人間の能力の開発などのためには、研究を進めていった方がいいとも思ってしまい……どうするべきなのか判断に迷ってしまいます。小林さんは次のように書いています。
「(前略)DBSやそれを進化させた高度なニューラル・デバイスの適用範囲は拡大する方向にある。すでに米国ではFDAの承認を経て、認知症や摂食障害あるいは(突発的な身体の動きや発生を繰り返す)トゥレット障害など、広範囲の神経疾患を対象にした臨床試験が進められている。
改めて断るまでもなく、脳は私たちの個性や精神性、あるいは自己同一性の源となる器官である。そこに直接働きかけるDBSやBMIのような研究開発は、今後慎重の上にも慎重を期して進める必要があるだろう。」
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「(前略)教育で対応できる範囲は限られているのだ。
そこで出てきたのがBMI、つまり私たちの脳に直接働きかけることによって、新たなスキルや能力を発達させようというアイディアだ。(中略)
BMIは年齢を重ねた人たちにさえ、子ども時代の知的柔軟性を取り戻し、激変する社会へとしなやかに適応する能力を授けてくれるかもしれない。それは確かに素晴らしいことだが、他方では究極のプライバシー侵害や経済的格差の拡大を引き起こす恐れもある。これらの懸念を置き去りにして技術開発はむしろ加速している。」
……『ブレインテックの衝撃 ――脳×テクノロジーの最前線』を詳しく紹介してくれる本でした。AIや遺伝子工学のように、「ブレインテック」も未来の社会を大きく変えていく可能性(懸念も)を強く感じます。みなさんも、ぜひ読んでみてください。
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