『超耐性菌 現代医療が生んだ「死の変異」』2021/6/22
マット・マッカーシー (著), 久保 尚子 (翻訳)
数年前なら治療できたはずの感染症で、患者が命を落とすようになっている――抗生物質に晒され続けた結果、細菌は変異し、薬の効果を無力化できる「スーパー耐性菌」となっていた。しかも、スーパー耐性菌は至る所に存在し、無防備な私たちを脅かしている……。
スーパー耐性菌に有効な抗菌薬はないのか。ニューヨーク・プレスビテリアン病院の勤務医のマッカーシーさんは未承認の治療薬「ダルバ」の実用化を目指して、同僚の医師と治験への取り組みを始めるが、一筋縄ではいかない医療現場の実情が二人を阻み……という医療ドキュメントです。
ちなみに抗菌薬というとペニシリン(1945年に大量生産と流通販売が実施された)が有名ですが、抗生物質自体には、ものすごく古い歴史があるようです。次の記述がありました。
「(前略)実は、人類は数千年も前から知ってか知らでか、抗生物質を摂取していた。現在も広域抗生物質として使用されているテトラサイクリンは、スーダンでみつかった西暦350~550年ごろのミイラの骨からも検出されている(当時醸造されていたビールが摂取源のようだ)。」
……そうだったんだ。また、当然ですが、「殺菌作用」のあるものすべてが「抗菌薬」と呼ばれるわけではないそうです。
「細菌を死滅させる化学薬品はたくさんある――酸と漂白剤は全種類の生物を破壊する――が、そのすべてが抗菌薬とみなされるわけではない。ヒトを殺すことなく感染細菌を一掃する物質のことを、私たちは「抗菌薬」と呼ぶのだ。」
そしてペニシリン以降の抗生物質と耐性菌の関係は、次のような状態にあります。
「1950年代が終わるころには、抗生物質に有害な副作用があることが十分に確認されるとともに、抗生物質に耐性を示す感染症が急増していることも、科学者から報告されるようになった。細菌たちはその形状を微妙に変化させることで、抗生物質から身を隠し、自分たちにとって脅威となる分子を分解するための酵素を作り出していた。「黄金時代」と呼ばれる10年の間に、医療産業は複雑な発展を遂げたが、同時に、細菌も複雑に進化していた。」
現在、抗菌薬がきかない耐性菌がぞくぞく出現しているのですが、新しい抗菌薬を作るには、次のような問題もあるのです。
「(前略)抗菌薬の場合は利幅が小さい。なぜなら抗菌薬は、(1)投与期間が通常は短く、(2)患者が体調を崩したときにしか処方されず、(3)優れた新しい抗菌薬であっても遅かれ早かれ耐性菌が現れることになるからだ。」
……なるほど。製薬会社にとって、あまりメリットが感じられないものだったんですね。
さて、この本の中心になるのは、マッカーシーさんたちが担当する未承認の抗菌薬「ダルバ」の治験を巡る話ですが、それと関連する形で、抗菌薬や治験の歴史、抗菌薬「ダルバ」の開発経緯や、抗菌薬の開発や感染症研究が不足している理由、治験の実際の方法や、医師たちの仕事ぶりなどが描かれていきます。これらの話もすごく興味深くて、とても参考になりました。
また治験を実施するためには、プロトコール(治験計画書)を作成する必要があるのですが、これについては、治験審査委員会(IRB)から何度も計画書の修正を求められて苦労を強いられることになります。医療に関係している方にとっては、このあたりの話もすごく参考になると思います。ドイツやアメリカでの人体事件の黒歴史(凄いどす黒さです……涙)も紹介されていて、米国食品医薬品局(FDA)やIRBの担う役割の重要性がよく分かります。
さらにプロトコールが承認された後も、患者さんに説明した上で承諾書をもらうことに苦労し、治験の運営や患者の治療、家族の問題など、マッカーシーさんたちの苦悩は尽きません。
そしていよいよダルバの投薬開始。この新薬で本当に患者さんたちを治療できるのか? ……感染症治療の最前線を描く迫真の医療ドキュメントで、本当に読み応えがありました。
ちなみにこの抗菌薬「ダルバ」は次のように構築されたそうです。
「偶然目にした発見がきっかけで創薬に至ったアレクサンダー・フレミングとは対照的に、ダルバを研究していた科学者たちは、薬を「発見」したのではなく「構築」した。分子モデリングとシミュレーション演習を活用し、既存分子を改変することで、より良い薬を生み出したのだ。(中略)化学者がコンピュータによるシミュレーションを用いて、既存の化学薬品が危険な病原体や病原菌とどのように相互作用するかをモデル化する。ここに炭素原子を追加し、そこの窒素原子を除去して、何が起こるかを試す。ひときわ革新的なプログラマーや科学者が集まることが多いこの分野は「有機合成化学」と呼ばれており、研究費が大きく嵩む分野である。」
驚いたことに、この抗菌薬「ダルバ」は、たった1回で治療が終わるのです。
「ダルバは、経口薬でもなく、数時間かけて静脈投与する点滴薬でもないという点で独特である。30分かけて一度だけ投与すればよい。半減期がきわめて長いため、体内に数週間は滞留する。この特性のおかげで、特有の化学的プロファイルをもつ――肝臓で代謝されず、腎臓でもすぐには排出されない。これも、私たちがダルバの有効性に賭けたくなる理由の一つだ。(後略)」
……かなり素晴らしい薬だとは思いますが、この薬の治験に協力してくれと頼まれたら……躊躇してしまうと思います。たった「1回で済む」ということは、強い薬だということで……まだ誰も試したことのない「強い薬」は、やっぱり怖いですよね……。治験に協力した患者さんの勇気には、本当に感謝してしまいます。
とても興味深い情報が満載でした。抗菌薬についても学べましたが、本書の中で紹介される「溶解素」という不思議なものにも、今後の医療を変えていく可能性を感じました。
「溶解素」とは、細菌の細胞壁を分解するために10億年かけて進化してきた酵素で、ほぼすべての細菌それぞれに対応する溶解素が存在し、細菌が耐性を示さないそうです。溶解素は、風船に穴を開けるような感じで、細菌の細胞壁にいくつもの穴をあけるそうで、マウスの研究では、溶解素を一回投与しただけで、数千万個の連鎖球菌に暴露したマウスを保護できたそうなのですが、ヒトではどう作用するかはまだ分かっていませんし、溶解素が開ける穴の数が多すぎると炎症を引き起こすなど、取り扱いにも注意が必要なようです。でも……もしも「特定の細菌だけを破壊する」ことが出来るなら、副作用のほとんどない薬として使えるのかもしれません。研究の進展を期待したいと思いました。
医療現場での治験の実態や抗菌薬を知ることが出来る、とても読み応えがあって勉強にもなる医療ドキュメントでした。医療に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。お勧めです☆
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