『人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか』2021/9/16
ビル・ブライソン (著), 桐谷知未 (翻訳)
30億年の進化の果てにある「奇跡のシステム」である人体の全貌に迫っている本で、内容は次の通りです。
第一章 ベネディクト・カンバーバッチの作り方
第二章 わたしたちは毎日皮膚を脱ぎ捨てている
第三章 微生物との「甘い生活」
第四章 脳はあなたそのものである
第五章 頭のなかの不思議な世界
第六章 あなたの「入り口」は大忙し
第七章 ひたむきで慎み深い心臓
第八章 有能な「メッセンジャー」ホルモン
第九章 解剖室で骨と向き合う
第十章 二足歩行と運動
第十一章 ヒトが生存可能な環境とは
第十二章 危険な「守護神」免疫
第十三章 深く息を吸って
第十四章 食事と栄養の進化論
第十五章 全長十二メートルの管で起きていること
第十六章 人生の三分の二を占める睡眠のこと
第十七章 私たちの下半身で何が起きているのか
第十八章 命の始まり
第十九章 みんな大嫌いだけど不可欠な「痛み」
第二十章 まずい事態になったとき
第二十一章 もっとまずい事態(つまり癌)になったとき
第二十二章 よい薬と悪い薬
第二十三章 命が終わるとはどういうことか
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最初の「第1章 ベネディクト・カンバーバッチのつくりかた」で、まず驚かされました。この章は次のように始まります。
「ずっと昔、わたしがアメリカで中学校に通っていたころ、生物の先生に、人体を構成している化学物質はすべて金物店で5ドルかそこらで買えると教わったことがある。正確な金額は思い出せない。2ドル97セントだったかもしれないし、13ドル50セントだったかもしれないが、1960年代の貨幣価値から考えてもずいぶんと安上がりだった。たとえば自分のような猫背でにきびだらけの生き物が、ただ同然でつくれるのかと考えて愕然としたことを憶えている。」
そして「ベネディクト・カンバーバッチのつくりかた」とは、ヒトをつくるための材料にいくらかかるのかを計算した試みで、2013年のケンブリッジ大学サイエンス・フェスティバルの一環として、英国王立化学会(RSC)が実施したものだそうです。俳優のベネディクト・カンバーバッチさんをつくるのに必要なすべての元素を集めると、いくらかかるかを計算しました(カンバーバッチさんはその年のゲストディレクターで、いい具合に典型的な体格の人間だったそうです)。そして……
「RSCの推定によると、ヒトを構築するには、ぜんぶで59種類の元素が必要になる。そのうち六種類―炭素、酸素、水素、窒素、カルシウム、リン―がわたしたちをつくっている成分の99.1パーセントを占めるが、残りの大半は少し意外なものだ。人体をつくるのにいくらかのモリブデンがなければ、あるいはバナジウムやマンガン、錫や銅がなければいけないなんて、誰が予想しただろうか? 実を言うと、そのうちいくつかの元素の必要量は桁外れにささやかなので、100万分率、場合によっては10億分率で計測される。たとえば、人体に必要なコバルト原子は、その他すべての原子999999999と2分の1個につきたった20個、クロム原子の場合は30個にすぎない。」
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ただし体内にあるすべての元素が「必須」というわけではないようです。次のようにも書いてありました。
「(前略)たとえばカドミウムは、体内で二十三番目に多い元素で、人の体積の0.1パーセントを構成するが、恐ろしく毒性が高い。カドミウムがあるのは体が必要としたからではなく、土壌から植物に取り込まれたあと、その植物を食べたときに体に取り込まれてしまうからだ。」
……こんな風に、むしろ不要なのに取り込まれてしまう元素もあるんですね(苦笑)。
そして結局、総費用としては……
「RSCによれば、快く標本となってくれたベネディクト・カンバーバッチを鋳型にして新しいヒトをつくるのにかかる総費用は、端数まで正確な金額で表すと、締めて十五万千五百七十八ドル四十六セントとなる。もちろん、これは原価だけで、製造コストと消費税を入れればもう少し値段はあがる。」
「(前略)つまり、わたしたちはひと盛りの土の中に見つかるのと同じ、不活性の化学成分のあつまりにすぎないということだ。」
……うーん、つまり原材料としては、ありふれた元素ばかりなので、かなり安く作ることが出来るということなのでしょうが……たとえDNA(設計図)があったとしても、この原材料だけで、ゲストディレクターとして番組づくりに寄与できるカンバーバッチさん(健康に動けて自然治癒もする)を作り上げられるとはとても思えず……とても不謹慎で倫理観に欠ける表現のように感じます。特定の個人ではなく、「一般的な人間を作るには」という方が良かったのでは? カンバーバッチさんの承諾はあったのでしょうが、自分自身が「あなたは十五万千五百七十八ドル四十六セントで作れる」と言われたら、どう思うのでしょうか……。
でも医学の発展の歴史には、これをはるかに超える倫理観の欠如を示す非人道的な医師や研究者が、さまざまな貢献(?)をしてもいるのです。例えば脳を切るロボトミー手術、毒ガス兵器から生まれた薬、世界大戦中に日本軍とドイツ軍が行った非人道的な人体実験……これらは治療に役立つどころか、大勢の人間を殺すことになったものが多いのですが、少なくとも人体の解明には役立ったのかもしれません。
その一方で、自らを人体実験の被験者として薬効や手術を試した自己犠牲的な医師や研究者もたくさんいたようで……これら両極端に道を踏み外した人々の行為が、医学や薬学の進歩につながっていったんだろうなーと考えると……すごく複雑な気がします……。
この本には、人体の素晴らしさだけでなく、このような闇の部分や、一部の研究者の人間的な弱さなども紹介されていました……。
えーと、それでも本書のメインテーマは、奇跡のようにも思えるほどの「人体の素晴らしさ」だと思います。
とりわけ免疫系に関しては、「免疫系は常にこれまで見たことのないものから攻撃を受けている」のに、それらと果敢に戦って、私たちの健康を守ってくれています(たまに起こる発熱や炎症は、彼らが戦っている証拠でもあります。)しかも免疫系は、侵襲された細胞を殺すだけでなく、自分の細胞が正常に動かなくなったとき(例えば、がん化したとき)にそれを殺してくれてもいるのです。
また私たちのヒト細胞の85パーセントは赤血球だそうですが、その赤血球はものすごい速さで作られているようです。
「この文を読み始めてから一秒ほどで、早くも体は百万個の赤血球をつくり終えた。それらはすでに血管を駆け巡って全身に行き渡り、あなたを活かし続けている。それぞれの赤血球が十万回ぐるぐると走り回り、繰り返し細胞に酸素を運び、その後傷んで使い物にならなくなると、他の細胞の前に出頭して、ひとえにあなたの有利になるよう静かに死んでいく。」
……えー! 一秒で百万個も! なんて働き者なの、私たちって(笑)!
しかもヒト細胞たちには、驚くことに指揮者はいないのです。
「(前略)細胞の各成分は他の成分からの信号に反応し、すべてが遊園地のゴーカートのようにぶつかったり押しあったりしているが、それでもなぜかあらゆる無作為な動きが、細胞内だけでなく全身で円滑な協調行動になる。細胞は、ヒトの内なる宇宙のさまざまな部分にある他の細胞と連絡を取り合っている。」
……本当に、人体って不思議なほど凄いものですね!
こんな感じで、人体について、かなり専門的な知識を交えて詳しく解説してくれるのですが、随所にユーモアが挟まれていて、意外なほど面白く読み進めることが出来ます。
脳も、心臓などの臓器も、骨も……さまざまな機能を果たして私たちの人体を生かしてくれているんですね……感謝しかありません。
どうして「不活性の化学成分のあつまり」が、こんなにも精緻な仕組みをもつ生命体にまで進化したのでしょうか……。
『人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか』……人体の素晴らしさを詳しく知ることができて、とても勉強になりました。みなさんも、ぜひ読んでみてください。
なお私が読んだのは単行本版でしたが、この本にはより新しい文庫版がありますので、以下の商品リンクでは文庫本版を紹介しています。
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