『名著のツボ 賢人たちが推す!最強ブックガイド』2021/8/27
石井 千湖 (著)

 インタビュー名手の石井さんが、各界随一の識者に「名著の現代的魅力」をとことん聞いた『最強ブックガイド』……ジェンダー問題を先取りしていた『源氏物語』から、感染症にも対応できる知性『ニコマコス倫理学』、搾取のメカニズムを解明する『資本論』まで、名著100冊をわかりやすく解説してくれる本です。
「はじめに」に、本書の概説があったので、少し長いですが、紹介します。
「本書は四つのパートに分かれています。「1 生きるということ」は、ドストエフスキーの『罪と罰』やプラトンの『ソクラテスの弁明』など、人間はいかに生きるべきかを問う文学・哲学・思想書を取り上げています。
「2 他者との遭遇」は夏目漱石の『坊ちゃん』、ディケンズの『大いなる遺産』、スタンダールの『赤と黒』など、各国の近代文学の名作が勢揃い。産業革命と身分制の崩壊によって都市へ移動した人々が、どのようにして他者に出会い、孤独を知ったのかを見渡すことができます。
「3 神話的世界へ」は、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』、『旧約聖書』、『ガラン版 千一夜物語』、『古事記』など、他の名著を読む前におさえておきたい神話・物語の内容を解説しています。人間の想像力の豊かさを実感できるでしょう。
「4 社会を考える」は、ルソーの『社会契約論』、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、マルクスの『資本論』など、自分たちが生きている社会がどんな仕組みなのかを解き明かします。ダーウィンの『種の起源』、司馬遷の『史記』もこちらのパートです。」
 ……いわゆる古典的名著、教養として役に立つ本として、少なくとも名前を聞いたことのある本ばかりが掲載されています。読書好きなので、ほぼすべての本の題名は知っていましたが、実際に読んだことがあるのは半数以下かも(汗)……という感じでした。
 しかも読んだのも「教養として知っておこう」とか「児童向けの名作全集(ダイジェスト版)に入っていた」とかいう動機で読んだものがほとんどなので……内容を忘れているものも多くて、ここで復習できて良かったと思います(笑)。
 例えばヘミングウェイの『武器よさらば』。たしか中学生のころ読んだような記憶がありますが、ヘミングウェイの文体の魅力に関する戸田慧さんの次の解説を読んで、もう一度読んでみたくなりました。
「19世紀までは主人公が思っていることをセリフや心理描写で説明する小説が主流でしたが、フレドリックは感情をほとんど表に出しません。ヘミングウェイは自分の創作方法を氷山に喩えています。氷山の大部分の水面下に隠されているように、小説の主題もすべて書く必要はない。書かれた文章に真実味があれば、読者は省略された部分も感得できるという考え方です。その「氷山理論」に基づいて、登場人物の内心に関する直接的な表現を抑え、できるかぎり短いセンテンスで書く。言わずに語る小説になっているわけです。」
 ……ハードボイルドって、なんか読んでいて気持ちがいいし、カッコいいですよね。ぜひ真似したい文体です。
 また奥泉光さんの『旧約聖書』「ヨブ記」の解説もとても興味深く感じました。これには、理不尽な理由でひどい目にあい続けたヨブが、神に問いかける詩文があるそうです。
「(前略)「罪を犯したおぼえがない自分が、罰としか思えないひどい目に遭う理由を知りたくて、ヨブは神に語りかけるのです。」(中略)
「神は要するに、この世界を創ったのはわたしだぞということだけをひたすら言うんです。全く質問に答えていないようにも読める。が、ヨブは神の言葉を聞いて納得しますし、神はヨブが正しいことを述べたと認めます。『ヨブ記』にかぎらず、『旧約』の神は超越的なのに対話可能な存在です。そこが他の宗教と比較して特異なところです。」
「ヨブ記」だけでなく、『旧約聖書』では、たびたび単純な因果応報を超えた神の怒りが描かれる。その怒りが社会倫理と結び付けられていることに『旧約』の神の特徴があると奥泉さんは指摘する。
「多くの神は儀式に失敗すると怒りますが、『旧約』の神は、貧しい者を踏みつけにするとか、社会倫理が実現されていないことに怒りを発し、人間を罰する。呪術性から離れてモラルの問題を重視していることは、後世の哲学や思想の大きな源になっていると思います。」」
   *
 ……敵対者(サタン)に挑発されたことによって、神は、お気に入りのヨブに試練を与えることにしましたが、数々の試練に耐えた後、ついにキレて直接抗議してきたヨブの問いかけに応えた後に、神は「試練を乗り越えたことを評価してヨブの財産を二倍にした」ようですが、自分がヨブを不幸にしたせいで、すっかり減ってしまったと思われる財産を二倍にするだけで、ヨブにとって本当に長年の試練の補償になったのでしょうか? しかもヨブが抗議もしないまま耐え続けたあげく貧乏なまま不幸な死に方をしたら……神は自分自身をどう感じたのでしょうか? ヨブは「神の世界で創造された、結末まで決めてあるキャラ」にすぎないから、そういう死に方はしないことになっているのかもしれませんが、それでもヨブ記に書かれていることは、『旧約』の神の特性(高い倫理性)に反しているような……。
『旧約聖書』「ヨブ記」のツボは、「善なる神が世界を創ったならば、なぜ悪は存在するのか? と問うている」とありましたが……これに「問」はあっても「答」はあるのでしょうか? もしかしたら……善が「善」であると理解できるのは、その反対にある「悪」が存在しているからなのでしょうか……うーん、むしろ答がないから、「後世の哲学や思想の大きな源になった」のかもしれません……。それにしても……神への信仰はヨブの人生を善きものにしたのでしょうか? もしかしたらこの「ヨブ記」が今あるのは、神ならぬ人間たちによる、ささやかな復讐なのかも……。
 えーと、その他にも、『イリアス』(ホメロス)のツボは、「人間にとっては国家の存亡を賭けた戦いも、神々にとっては家族内の揉め事」とか、『ファウスト』(ゲーテ)のツボは、「紙幣というフィクションのお金が社会を動かすことを予見していた」とか、『魔の山』(トーマス・マン)のツボは、「空虚な論理に実在する価値があるかのように信じ込ませる過程が描かれています」とか、へー、そうだったんだ、と思わされる解説がたくさんあって、興味をかきたてられるとともに、勉強にもなりました。
 そしてドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の解説の中にあった次の言葉には、とても共感させられました。
「沼野さんの「読書の意味は経験することにある」という言葉は「本を読むことにどんな意味があるの?」という問いに対する一つの回答にもなっている。異なる国の、時代の多様な人々の思考や生を追体験することによって、自分の中に何かが残る。その何かの正体はすぐにはわからなくとも、ふとした瞬間に明らかになり、世界を見るフレームワークを拡張してくれるのだ。」
 ……確かに……これらの名著は中学生ぐらいの頃に読んだものも多く、実を言うと当時はよく分からないまま、やみくもにたくさん読んでいたのですが……私の中に何か基盤になるようなものを残してくれたような気がします。
 ここで紹介されているのは、本当に古典的名著ばかりなので、もちろんどれも一読の価値はあると思います。『名著のツボ 賢人たちが推す!最強ブックガイド』、ぜひ読んでみてください。
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