『心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学 (講談社選書メチエ)』2022/7/14
ニック・チェイター (著), 高橋 達二 (翻訳, 解説), 長谷川 珈 (翻訳, 解説)
「心には表面しかない。」わたしたちの脳は、思考や感情や欲望を「その瞬間に」生み出している……行動の理由も、政治的信念も、そして恋心さえも。さまざまな実験結果をもとに、「無意識の思考」などというものが「ない」ことを明らかにしていく本で、内容は次の通りです。
序章 文学の深さ、心の浅さ
第一部 心の深みという錯覚
(でっち上げる力/現実という実感/インチキの解剖学/移り気な想像力/感情の創作/選んだ理由の捏造)
第二部 即興が「心」を作る
(思考のサイクル/意識の経路の狭さ/無意識的思考という神話/意識の境界/原理ではなく前例/知性の秘密)
終章 自分を創り直す
*
「序章 文学の深さ、心の浅さ」には、次のように書いてありました。
「隠された深みを探査するという企ては、たんに技術的に難しいのではない。根本的に的外れなのだ。「心には隠された深みがある」という発想そのものがまったく誤っている。」
「心理療法、夢分析、語連想、行動実験、脳スキャン。何をどれほど試しても、人間の「真の動機」を取り出すことはできない。見つけるのが難しいからではなく、見つけるべきものは何もないからだ。」
「思考というのは、創作作品と同じく、拵えたときに存在しはじめるのであって、その一瞬前にはどこにもない。」
「心に深さがあるのではなく、心は究極の即興家なのだ。行動を生み出し、その行動を説明するための信念や欲望をも素晴らしく流暢に創作してしまう。しかし、そうした瞬間ごとの創作は、薄っぺらで断片的で矛盾だらけ。」
……ということで、まさに「心には表面しかない」というのが本書の主張なのです。
「第一部 心の深みという錯覚」では、心のしくみについて広く蔓延っている根本的誤解を一掃する試みとして、さまざまな実験や事例が紹介されていきます。私たちは、「自分の感覚経験の豊かさや整合性についてさえ、まんまと騙されている」そうです。
驚かされたのは、私たちが見ている感覚世界がマルチカラーという自分の感覚は、あまり正しくないということ! 実は人間は、視線のまっすぐ先からほんの数度外側は、まったく色を知覚していないそうです。
「(前略)文章全体や目の前の光景の全体が見えているという実感は、目が視覚世界をぴょんぴょんと移動しながらかき集めた視覚情報の切れ端が統合されるからこそ生じているのだ。」
「(実験で明らかになったことによると)文章、物、顔、色。なにを見ているときであれ、自分が思っているよりも、ものすごく少ししか見ていないのだ。私たちが世界を見るのは、一度に一つの断片のみ。ただし、ちょうど物語の文章を繋げていけるのと同じように、断片どうしを結びつけている。したがって、現時点の感覚経験からなる「内的世界」というのも、まったくの捏造である。」
……そうだったんだ……でも……まさに今パソコンを操作しながら見ている視界全体がフルカラーに見えているのですが……どうやら、これは、脳が「見た記憶」を駆使して補完しているようなのです……マジか……。
ここではいくつかの錯視画像を見ることができますが、「黒い点はいくつ見える?」というニニオ消失錯視の画像(幾何学模様を目で追うにしたがって、黒い点が瞬くように出現したり消失したりする画像)は本当に凄いです。何度やっても、あちこちに黒い点が見え隠れします。これは必見です!(ただし錯視画像の見え方には個人差があるので、私のように「まんまとひっかかる」ことが出来ない人もいると思いますが……)
そして「第二部 即興が「心」を作る」では、脳が休むことなき即興家だということが説明されていきます。
まず、私たちの思考のサイクルは、素早い計算を行うコンピュータとは別の方針をとっていることが、次のように説明されていました。
「(前略)ニューロンというのろまな計算ユニットは、問題を無数の小さな欠片へと分割し、高密度に相互接続されたネットワークの全体で暫定的な解答の数々を同時並行的に共有する。脳が用いているのは多数のニューロンからなる広大なネットワークの協働的な計算であるという事実そのものが重要だ。つまり、各ネットワークは巨大なワンステップを協働的に進めているのであって、従来型の計算機のようにほとんど無限に小さな情報処理ステップを数限りなくこなしているのではない、ということが示唆されているのである。この巨大な協働的ステップのシーケンス、すなわち、一秒あたり数回のビートで進んでいく不規則な律動を、筆者は「思考のサイクル」と呼んでいるのである。」
「重要なポイントは、協働するニューロンたちは、一つのネットワークをとってみれば、一度にちょうど一個の問題にしか対処できないことである。そのうえ、脳のいわば「配線図」(脳の各部位のハードウェア的な相互結合)を辿って行われる脳内の情報伝達経路の分析のみならず、特定の作業に従事中の人の脳活動の観察からも、脳の中の各ネットワークは強く相互接続していることが示唆されている。そこからも、同時に複数の作業が行われていることは例外に属するであろうと言える。」
……なるほど。でもやっぱり「心には表面しかない」ってのは、かなり乱暴な見方じゃないかな。だってなかなか解法を思いつかない難問が、突然の「ひらめき」で解き明かせることがあるんだから……と反論したい気持ちを抱えながら読み進めていたのですが、なんと、それも、次のようにバッサリ切り捨てられることになるのでした……。
「難しい問題は、脳の大部分を用いることが必須なのである。したがって、私たちが日常生活を送るあいだにも深遠なる無意識思考が「バックグラウンドで併走している」という発想は、じつに空想的というほかない。」
「(前略)突然に正解が出てきたのは、無意識なるものが何時間だか何日間だか思考し続けてくれたおかげではない、ということである。そうではなく、問題をもう一度じっと眺めてみたとき、たった一回の思考のサイクルのなかで答えが見つかったのだ。それまでの失敗した分析を振り払い、幸運の助けも借りれば、脳が正しい回答を引き当てることもある。心の断片がうまいぐあいに組み替えられ、かちりと噛み合い、問題が解かれるのだ。」
……うーん、そうなのかな……でも、やっぱり何かちょっと釈然としない気も……。
ただしチェイターさんの言う「心には表面しかない」ということは、決して我々の心が薄っぺらだとか、脳の能力が低いと言っているのではないのです。次のようにも書いてありました。
「(前略)デジタル化の進行とビッグデータの利用が盛んになったことで、正確な輪郭を備えた存在に満ちあふれた摩擦のない世界が広がっていく。そうした世界ではコンピューターが人間よりも遥かにうまく動けるのである。だが、人間の知性の秘密はパターンを見つけること、それも、構造らしき構造のないところ、もっとも予想外のところ、きわめて多種多様な情報の流れのなかに見つけることである。」
「私たちは、過去の経験を領有し変換することで世界へと意味を強引に押しつける。この領有と変換こそが人間の思考の本質であり、それをもとにして苦労しつつ構築されるのがより冷静な熟考なのである。現に作動中の心をよく観察することこそが、心の自然な作動モードへの最良の手引きである。そうすれば明らかになる――解釈の探求、すなわち、意味を見つけ出す努力が私たちを駆り立てているのである、と。」
「いかなる「思考の牢獄」も私たち自身がでっち上げたものなのだから、創ることができたのと同様、取り壊すことができる。もし、心には表面しかないなら、つまり私たちは自分の心、自分の生き方、自分の文化を想像力によって創り出しているのなら、私たちはもっとわくわくする未来を思い描き、現実にする力を持っているのだ。」
……「心には表面しかない(心の奥の動機や欲望や選考性は存在しない)」という、人間の心への意外な見方を、数々の実験や事例を通してじっくり解説してくれる本でした(なお、本書の原題は「マインド・イズ・フラット」で、これは、「心の表面(意識的に自覚できる思考や感覚や知覚)が心のすべてであり、「心の奥の思考や感覚や知覚」など存在しない」という意味を表しているようです)。
「心には表面しかない」なんて、ちょっと信じがたい気もしますが……このようにシンプルに(?)心を捉えてみても心理療法などに悪影響を与えないのだとしたら……その方がむしろ良いのかも、とも思ってしまいました。
さらにこのシンプルな考え方で何か問題が発生するなら、その点を追求していくことで、「心には表面以外のものがあり、それはこんなものだ」ということを明らかにできるかも……という妄想も抱いてしまいました。
神経科学や行動心理学など、脳や心の働きに興味のある方は、ぜひ読んでみてください。なにか新しい視点に気づくかもしれません。
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