『ダマシオ教授の 教養としての「意識」 機械が到達できない最後の人間性』2022/8/3
アントニオ・ダマシオ (著), 千葉敏生 (翻訳)

 言語の発明、比べるもののない創造性……人間が成功できた理由には、人間の持つ「意識」がかかわっていると言われています。細菌のような最も小さな生物でさえ、驚くほど高度な知性を持つといわれていますが、心は、感情は、どのような生物にどのように生かされているのでしょう。そして、意識はそれらとどのように関連して人間らしさを生み出し、人間を地球上最高の生物としているのでしょう? 神経科学者のダマシオ教授が、解説してくれる本で、内容は次の通りです。
第1章 人間という存在について
第2章 心、そして表象という新しい技術について
第3章 感情の仕組みについて
第4章 意識と認識のかかわりについて
第5章 エピローグ ── 公正な視点から
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 ダマシオさんは、細菌なども知性をもっているけれど、それは「隠れた知性」で、単純かつ経済的に問題を解決するものだと言っています。対して、人間のもつ「明示的な知性」は複雑であり、感情や意識の存在なしでは機能しえないそうです。
「知識は心の中のイメージ的なパターンという形で描き出されて初めて、その生物にとって明示的なものになる」ので、そういう意味で、そもそも神経系を持ち合わせていない細菌や植物は、心や意識を備えているとは思えないのだとか……なるほど、そうかもしれません。次のようにも書いてありました。
「私たちの心は、視覚や音を与えるイメージから、感情の一部を成すイメージまで、時間的に連続する多種多様なイメージで成り立つことがわかっている。また、主要なイメージは、一般的に「パターン」として構成されることもわかっている。パターンとは、要素が2次元以上で配置された、空間的・幾何学的な構造のことだ。心の中心を占めるのがこの空間性であり、心の構成要素の明示的な性質をつくり出している。
 その対極に位置するのが、神経系を持たない生物をきわめて知的に支えていて、人間のような複雑な生物の役にも立っている、非明示的な能力だ。」
 そして「第3章 感情の仕組みについて」には、次のこと書いてありました。
「(前略)「感情を作りだす」のに役立つ神経機構は、その感情の引き金になった事物と直接やり取りする。
 たとえば、病気の腎臓の被膜から発せられた痛みの信号は、中枢神経系へと移動し、合流して「腎疝痛」と呼ばれるものを引き起こす。しかし、それで終わりではない。こんどは中枢神経系が病気の腎臓の被膜への反応を生み出し、痛みの持続を調節するどころか、痛みを遮断することさえあるのだ。(中略)
 この腎疝痛の例は、視覚や聴覚のために用いられる生理機能とは別の精巧な生理機能によって、感情が組み立てられるという点を実証するのに役立つ。」
 ……痛みのような生理的なものに直結しているように思える感情ですら、意外に複雑に組み立てられているんですね……。次のことも書いてありました。
「感情とは対話型の知覚である。(中略)
 最終的にイメージ化されるのは、純粋に神経的なものでも身体的なものでもなく、身体の化学的作用とニューロンの生体電気的な活動との間の対話、つまり動的なギブ&テイクから生まれる。
 さらに複雑なことに、いかなる時点でも、恐れや喜びといった情動的反応は、身体における情動的プロセスの主な主体である内臓の一部にさらなる変化をもたらし、その結果として、新たな内臓の状態、新たな脳と身体のパートナーシップを生み出す可能性がある。」
「感情とは、私たちの身体の内部の生命活動の成功や失敗の度合いを、直接表現するものなのだ。」
「ホメオスタシス由来の感情は、一連の生理的パラメーターに関して、生命が有利な状態にあるのか、不利な状態にあるのかを示す、一連の分子から生じる。」
 そして「第4章 意識と認識のかかわりについて」には、次のように書いてありました。
「心の中に絶えず映し出され、意識の構築に欠かすことのできない感情には、二つの起源がある。一つ目の起源は、身体の内部の果てしない生命管理のプロセスであり、それは幸福、不調、食べ物や空気への飢餓感、渇き、痛み、欲求、快など、身体の好不調を欠かさず映し出す。前に見たとおり、これらは「ホメオスタシス由来の感情」の例だ。
 二つ目の感情の起源は、心の内容がたびたび呼び起こす強弱さまざまな情動的反応であり、私たちに毎日のように訪れる恐れ、喜び、イライラなどがそれに当たる。これが心に表出したものは「情動的感情」と呼ばれ、内的な物語を構成するマルチメディアショーの一部を成す。」
「(前略)意識とは、いくつもの心的事象が寄与する生物学的なプロセスから生じる、特定の心の状態のことなのだ。内受容神経系を介して伝達される身体内部の機能が感情要素に寄与する一方で、中枢神経系の内部のそのほかの機能は、その生物の周囲の世界や骨格構造を描き出すイメージ要素に寄与する。
 この2種類の寄与が整然としたかたちで統合することで、きわめて複雑ながらも完璧に自然な心的体験が生み出される。それは、一瞬一瞬、自分自身の内部の世界と周囲の世界を認識している生物の包括的な心的体験だ。
 この意識的なプロセスこそが、心的なかたちで表出した生物内部の生命を、自分自身の物理的な境界内に位置づける。」
 ……正直に言って、この本を読んでも「意識」が何かはよく分かりませんでした。この本で語られている「意識」は、かなり「生理的」なものとの繋がりが緊密なものに限られているような気がしましたが、実際の人間の「意識」は、もっと抽象的なものにまで及んでいるのではないでしょうか? 例えば数学モデルを構築しようとしている人や、幻想文学の構想を練っている人が「思考」している時、生存本能などの生理的なものと、その思考はほとんど無関係なように思えます。考えに没頭しすぎて、食事や睡眠を忘れてしまうことすらありますし……。
 そういう意味で、私にとって「意識」は依然として難問のままでしたが……少なくともその「意識」の一部は、本書に書いてあるような仕組みで生み出されるのかもしれないとも思えました。
 そして「意識」が解き明かされた時、AIなどを含む機械にも「意識」が搭載可能なのか? についても謎のままではありますが、今、目の前に「笑ったり悲しんだりするロボット」がいたら……たぶんプログラムされた会話にしたがって(あるいは人間がその状況で普通にやりがちな行動を機械学習して)表情を変えているんだろうと想像してしまうと思います。でも、「バッテリーがフルで、回路のどこにも不良がないとき」にはにこにこし、「バッテリーが減ってくる」と疲れた感じに首をうなだれるロボットがいたら……そこには何かロボット自身の「本物の感情」の表出を感じてしまうかも……。そして、こんな風に感じてしまうということは、やはり「生存」に関わる感情が、人間にとっても最も本質的な感情なのかもしれないなーと思ってしまいました(苦笑)。
「心」「感情」「意識」について、いろいろ考えさせられる本でした。興味がある方は、一度読んでみてください。
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 なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。
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