『意識はなぜ生まれたか――その起源から人工意識まで』2022/4/16
マイケル・グラツィアーノ (著), 鈴木光太郎 (翻訳)

 生命進化の過程で「意識」はいつ生まれたのか? 私たちの「心」はどのようにして形づくられるのか? 「機械」に意識を宿らせることは可能なのか? これらの難問に、「注意」の観点から答えを見出そうとしている本です。
 第1章から4章は、神経システムと注意の進化についての話。
 ここではグラツィアーノさんの主張している「注意スキーマ」が、次のように説明されています。
「(前略)自分自身についての直観、つまり意識が「機械のなかの幽霊」とも呼ばれる非物質的エッセンスであるという直観は、特定の内的モデル(注意スキーマ)から生じると考える。(中略)この注意スキーマは、脳がどのように情報をとらえて深く処理するのかについての単純化された記述である。この記述は、脳が自身の内的能力を理解してモニターするための効率的な方法である。こうした内的モデルは、他者の行動をモニターし予測するのにもつかわれる。」
「注意スキーマ理論では、意識は情報を特別な方法で処理する神経システムによるものと考える。この理論の要になるのは注意であり、これは高度な知能の要でもある。限りある脳の処理資源を、その時々で少数のものだけにあて、より深く処理する能力、それが注意だ。」
 ……そして、神経システムの基本的細胞単位であるニューロンが動物界に最初に出現するのは六億年より少し前(カイメンとクラゲの間)で、意識が動物に生じたのは、三億年前(潜在的注意をもてる大脳皮質を持つ爬虫類、鳥類、哺乳類の誕生)と言っています。(なお、顕在的注意は感覚器官でなにかをつかむこと、潜在的注意は大脳皮質の大規模な計算装置でなにかをつかむことだそうです。)
 個人的に最も興味津々だったのは、「第6章 意識はどこにあるのか?」。ここでは、「両眼視野闘争」という面白い現象が紹介されます。
 右眼にヨーダ、左眼にダース・ヴェイダーの像が入る3D眼鏡をかけると、ヨーダとダースが同時には見えない「両眼視野闘争」現象が起こるそうです。これは、例えば、最初にヨーダが見えてから数秒でそれが斑状になって消え去り、変わってダースが現れ、数秒後には同じようにヨーダに変わる……という現象。要するに「注意」は何かに絞られる(他方は抑制される)ということのようです。
 そしてこれが、脳内の意識の場所を突き止めようとして最初に用いられたツール。MRIスキャナーでこの時に視覚野ニューロンの反応しているニューロン群を見つけ、それがヨーダを見ているときに活動しているなら、そのニューロンはヨーダを意識していることと相関していると考えられるのだとか……なるほど。
 このような方法などで、状況と脳の関係が探られて「意識」が研究され、次のようなことが分かってきたのだとか。
「なにかを見せられ、それが意識にのぼる時、頭頂-前頭ネットワークが反応する。なにかを見せられ、視覚野はそれを処理しているのに意識にのぼらない時には、このネットワークは反応しない傾向にある。もっともシンプルに解釈すれば、頭頂-前頭ネットワーク、もしくはそのサブシステムが意識を形作っていると考えられる。」
「現時点での私の見解では、意識の構成物を作り上げるための計算は、側頭-頭頂接合部(TPJ)と呼ばれる皮質領野でとくに際立っている。」
「あなたが顔の写真を視覚的に意識しているとしよう。VI(視覚情報が最初に入る皮質)は、細部や色、彩度や鮮明さについての情報の構築を助ける。側頭葉は、顔の身元についての情報の構築を助ける。TPJは、意識についての情報の構築を助ける。あなたが顔を意識していると主張するには、この三つが必要である。」
 そして脳の損傷や、「半空間無視」などの脳障害の研究でも、脳のメカニズムが分かってきているようです。
「(前略)総合的に見てゆくと、意識の喪失にもっとも頻繁に関係している中心的な脳領域が浮かび上がる。頭頂-前頭ネットワークだ。脳の両側にあるこのネットワークが失われると、意識も失われる。」
 また「第7章 さまざまな意識理論と注意スキーマ理論」では、さまざまな意識理論と注意スキーマ理論の関係が語られます。
「過去二五年にわたって数多くの研究が示したのは、脳損傷患者においてだけでなく健常者においても意識を注意から切り離せるということである。なにも見えなかったと報告しながらも、健常な被験者は、微弱な画像や瞬間呈示された画像に最小限の注意を向けることができる。すなわち、そうした対象に処理資源を割くことができ、反応することさえできるのだ。
 意識されない状態では、注意は正常にはたらかないように見え、これは注意の制御メカニズムの一部を失っていると考えることができる。一例を挙げるなら、私たちが日常的に用いるもっとも重要なスキルのひとつは、注意を向けるべきではないものに注意を向けないという能力である。」
 そして「第8章 意識をもつ機械」では、なんと、注意スキーマは情報なので機械にもそれを組み込めるはずと言っています。そして、その機械のなかに自己知識と意識や心がどういうものかという情報も入れてしまえば、意識をもつと主張する機械が出来上がるはず、と言うのですが……個人的には、本当にそんなことが可能なのだろうか、と半信半疑になりました。次のようなことが書いてありました。
「(注意スキーマ理論では、)脳が意識という構成物を進化させたのは、二つの大きな利点があったからだと考える。ひとつは内的な制御能力の向上、もうひとつは社会的認知のための基盤である。」
「注意スキーマ理論では、ある機械が意識をもっているかどうかを判別するには、その内部を探って注意スキーマがあるかどうかを調べ、そのなかの情報を読みとる。こうして、私たちと同じようにその機械が主観的意識体験をもつと考えているかどうかを、客観的な確信をもって知ることができる。その内的モデルに必要な情報があれば、イエス。なければ、ノーだ。これらすべては原理的に測定も確認も可能だ。」
「ある脳が私と同じように意識をもっていると思っているかどうかを調べることは、脳内の情報を読み取る技術の進展にかかっている。」
 さらに「第9章 心のアップロード」では、「心のアップロード」は可能だと言っています。……機械にも組み込めると言っているのですから、その立場から考えれば、もちろん可能になるのでしょう。心のアップロードは、脳の働きを詳細に理解する必要はなく、ただ脳をコピーするだけでいいそうです。脳を十分正確にコピーすれば、もとの脳と同じように働くはず……確かに、私たちの脳は「シンプルな個々のニューロンがたくさんつながって、各ニューロンが入ってくる信号を計算して、強めたり弱めたりする結果を送り、最終的になんらかの決定を下している」わけですから……コピーも可能なのでしょう。でも……やっぱり「意識」って、すごく不思議ですね! 私たちって、いったいどうやって、こんなシンプルなニューロンの動きの統合で、複雑な理論まで導き出したりしているんでしょう? 考えれば考えるほど分からなくなって驚異的です……どうしてなんだ……。
 でも「心のアップロード」なんて、そもそも必要なの? と思ってしまいましたが、例えば酸素などがなくて生物が生きていけない環境(宇宙や深海)などの現場で、活躍するのではないかと言っていて……確かにそうですね。「機械でのコピー」や「心のアップロード」には危険な側面があって心配になりますが、さまざまな利点を考えると、この研究を進めていくことには意義があるようです。ただし実用化は、利点と欠点をよく考えてから初めて欲しいですが……。
 本書は次のように締めくくられていました。
「意識を実用的・工学的観点から理解すれば、驚くべき未来が開けてくる。その未来においては、心は貴重なもの、養育され、培養され、そして保存されるべきもの、もとの生物学的プラットフォームから取り出され、移植され、複製され、いくつかの枝に分けられ、無限に維持され、さらにはほかの心と混ぜ合わせることができるものとなる。私は、やがて心は生物学的身体から切り離され、人工知能とヒトの知能との境界は曖昧なものになると思う。そしてこの心という並外れた特性は、何百万年もかけて宇宙に散らばり、銀河系を探査するようになるだろう。心のテクノロジーこそが、はるかな未来へと通ずる最善の道かもしれない。」
 とても興味津々な内容で読み応えがある本でした。脳や心理に興味のある方は、ぜひ読んでみてください☆
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