『美術の力 表現の原点を辿る (光文社新書)』2018/1/17
宮下規久朗 (著)

 初めてのイスラエルで訪ね歩いたキリストの事蹟から、津軽の供養人形まで、美術史家の宮下さんが、美術の本質を見つめた全35編のエッセイ集で、随所に美術作品がカラー写真で紹介されています。
 本書は、宮下さんが初めてイスラエルを旅行して、ナザレ、ティベリア、クムラン遺跡、ベツレヘム、エルサレムと、キリストにまつわる事跡を訪ね歩いた話から始まります。聖墳墓協会のゴルゴダの丘跡地や終油の石などの写真が紹介されていて、あの有名な場所は、実際はこういう感じなんだ……と興味津々で眺めてしまいました。
 続く「第1章 イタリア美術の力」では、教会などに飾られている巨大壁画などを写真で見ることが出来ました。
 ティツィアーノ『聖母被昇天』(ヴェネツィア、サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂の主祭壇画)は、この祭壇画が正面に見えはじめる入口の外から撮影された写真が掲載されていて、まるで自分がその場にいるような臨場感があって感動的でした。まさに「芸術作品はその場所で鑑賞するのが最高」という実例ですね!
 さらに日本の展示会に来たことがあるというティツィアーノの『受胎告知』の写真もあり、次のように書いてありました。
「この大作の近くに寄ると、指で描いたともいわれる荒々しいタッチが画面を縦横に走り、様々な色が複雑に溶けあってえも言われぬ効果が見られる。これはティツィアーノが晩年に到達した前人未踏の境地であり、その後ルーベンスやベラスケスをはじめ、印象派を経て二十世紀アメリカの抽象表現主義にいたるまで、西洋美術に限りない影響を与えることになった。」
 ……『受胎告知』は、あまり古典的ではない感じの、動きが感じられる荒々しいタッチで描かれていて、確かに、この後の西洋美術を新しい方向へと導いていった作品だと感じました。やっぱり凄い画家だ……。
 またイタリアの巨匠・グエルチーノの『聖ペトロネラの埋葬と昇天』、『聖母のもとに現れる復活したキリスト』なども写真で見ることが出来ましたが、こんな素晴らしい大作を描いた画家の名前をまったく知らなかったことに驚きました。この方は、後年になって人気が落ちてしまった作家だったそうです。次のように書いてありました。
「自然観察と古典的理想美を融合させたとして十九世紀までの西洋中のアカデミー(美術家組合兼養成機関)の規範となっていたが、やがてアカデミズムへの反発が起こり、前衛やオリジナリティが重視される時代になると、人気を落としていった。」
 ……そうだったんだ……美術って、いろいろな理由で評価が変わっていくんですね……美術だけではないけど……「永遠の美」なんて、本当はないのかも……。
 さらにモーリス・ダンカン・ド・ラ・トゥールの有名な作品『ポンパドール夫人』が、パステルによる肖像画だったことにも驚きました。美しく柔らかい優美な顔はともかく、しっかりした布の質感までリアルに感じられる衣装がパステルで描いてあったとは……。パステルは「油彩画に比べて短時間ですぐに写生でき、線画だけでなく繊細なグラデーションが可能で、高度な技術によっては油彩画と見まがうほどの効果を示すことができた。」そうです。パステルっていうと、童話の挿絵とか幻想的なふわっとしたイラストに向いている画材だと思っていましたが、実はオールマイティに使えるものだったんですね……。
 そして「第3章 知られざる日本近代美術」では、戦時中に描かれた藤田嗣治の戦争画『サイパン島同胞臣節を全うす(1945年)』や、向井潤吉『ロクタク湖白雨(1944年)』の見事さにも驚かされました。これだけの情熱と技術力が、社会情勢のなかで評価が激変してしまう……戦争って、いろんな意味で悲しいなあ(涙)。それにしても、あのほのぼのとした田舎家風景画で有名な向井潤吉も、インパール作戦に従軍画家として参加していたんですか……それも驚きでした。
 そして、最も日本の精神性を端的に表していると感じたのが、澄んだ夜空に皓々と輝く月を描いた高島野十郎『満月(1963年頃)』。次のように書いてありました。
「(前略)月以外の風景や樹木が徐々に捨象され、最後は夜空に光る月のみになった。蝋燭も月も、西洋ではそれだけを描いた作品はほとんど見られない。」
 この『満月』は本書で写真で見ることが出来るのですが、満月の右上のほの明かりに、樹木からのびる枝の葉がかすかに黒く見えているのが、繊細で美しいのです……この奥ゆかしく厳しい美こそが、まさに日本の美。感動ものでした……。(そして新書版の本書の印刷技術の高さにも感謝!)
 そして「第4章 美術家と美術館」では、クリストスの『カルトゥジオ会士の肖像』がとても面白かったです。この作品には小さく「蝿」が描かれているのです。
「(前略)西洋美術にはしばしば「蝿」が描かれるが、よく見ないと気づかない。これは、本物の蝿が絵の表面にとまっているように見せかけて人をだます仕掛けであった。
 もっとも早いものは、十五世紀フランドルの画家ペトルス・クリストス『カルトゥジオ会士の肖像』で、画面下部の額縁に蝿がとまっているのが描かれている。」
 ……この絵の前に立って、鑑賞の邪魔になる「蝿」を追っ払おうと手で払ってみたら……なんと! これ、絵だったんだ! って驚いてもらえる(技術力の高さも示せる)……画家の「してやったり(笑)」が分かるようで、すごく楽しい☆ こういうの、いいな……。
 さらに「第5章 信仰と美術」では、「正義と啓蒙の改革」のように思っていた「宗教改革」に違う側面があったことにも驚かされました。次のように書いてありました。
「実際には、宗教改革は不寛容な原理主義という面を持ち、多くの美術作品を破壊した恐ろしく野蛮な運動であったのだ。」
「宗教改革によって、教会からの注文が激減してしまったことから、多くの美術家たちは従来のような制作活動はできなくなる。」
 こうして宗教的な作品から、女性のヌードなどの、より芸術的な作品へと変わっていくことになったとか。
 それでも「宗教と美術」は切り離せないものだそうです。
「人類のあらゆる芸術の源は宗教である。とくに、造形表現のほとんどは洞窟絵画以降、信仰や呪術から生まれたものであり、いつの時代でも宗教と美術は切り離せなかった。」
 ……幅広いジャンルの美術作品紹介や考察をしている美術エッセイ集でした。連載記事などをまとめたものなので、一つ一つの記事が短くて気楽に読めるのに、美術の教養も学べる美味しい本だと思います。(傑作の写真を眺めるだけでも楽しいです)。もちろん、ここで紹介した以外にも、多数の作品・考察があります。せひ読んでみてください。
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