『絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』2018/9/27
M・R・オコナー (著), 大下 英津子 (翻訳)

 人が介入すればするほど「自然」から遠ざかっていく……答えのない循環論法に陥った「自然保護」・「種の再生テクノロジー」の現場に迫る傑作ノンフィクションで、内容は次の通りです。
はじめに 「生命維持装置」につながれた黄色いカエル
第1章 カエルの箱舟の行方
    「飼育下繁殖」された生き物は自然に帰れるのか?
第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
    異種交配で遺伝子を「強化」された生き物は元と同じか?
第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
    「保護」したつもりで絶滅においやっているとしたら?
第4章 1334号という名のクジラの謎
    「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?
第5章 聖なるカラスを凍らせて
    「冷凍保存」で遺伝子を保護することに意味はあるか?
第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
    「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?
第7章 リョコウバトの復活は近い?
    「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?
第8章 もう一度「人類の親戚」に会いたくて
    「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い
おわりに 「復活の科学」は人類に何をもたらすのか?
    *
 第1章で登場するのは、キハンシヒキガエル。タンザニアのダム建設現場で発見されたカエルで、ダム建設はいちおう環境に配慮して行われたのですが、カエルの野生種は絶滅し、現在では実験室でのみ生存しています。このカエルを野生に返すプロジェクトが進められてはいますが、巨額の費用がかかっています。でも、そもそも電力供給がきちんとなされずに毎日停電で社会が停滞・混乱し、多くの人が困窮して死んでいるタンザニアで、この小さなカエルのために莫大な費用をかけ続けていくべきなのか……すごく考えさせられる事例でした。
 第2章はフロリダパンサー。絶滅の危機にありながらも、その生命力の問題で繁殖も困難な状況にあるフロリダパンサーは、別のピューマと交雑させることで遺伝子の多様性を回復させ、生殖能力を向上させるという方法がとられています。このようなキメラ(交雑した種)は保護に値するのか? という疑問が投げかけられてきます。
 この後も、魚、クジラ、カラス、サイなど絶滅に直面している生物の事例が、現場の状況、保護活動を行う人々などの実態も含めて詳しく紹介されていきます。各章の副題が示しているように、生物の保全にまつわる問題を、多方面から追いかける内容になっていて、読み進めるうちに、疑問や葛藤に苦しめられてしまいました。
 たとえば「砂漠の魚(ホワイトサンズ・パプフィッシュ)」は、わずか30年で別種へと進化してしまうのですが、生物の保全が、実は人工的な「進化の操作」につながっている可能性が高いことを教えてくれます。またコンゴ政府の権力闘争に翻弄される「キタシロサイ」は、紛争地帯で絶滅に直面している生物を救うことの困難さを描き出します。
 これらの事例を読んでいるうちに、絶滅しそうな生き物を救おうとする活動の困難や矛盾を理解しつつも、それでも本当に絶滅する前に、せめて彼らのDNAだけでも保存できれば……という気持ちになっていきました。
 それに呼応するように、本書の後半では、DNA操作などの科学的手法で絶滅危機に立ち向かっている事例が、数多く紹介されていきます。
 例えば、冷凍保存した遺伝子を使って将来、個体を誕生させようという努力がなされている「ハワイガラス」。絶滅した「リョコウバト」をゲノム編集で蘇らせようとする計画。
 もちろん絶滅生物を含む生物の組織サンプルを保存する試みも世界各地で行われていて、世界最大級の凍結組織サンプルのコレクションを有するアメリカ自然史博物館の事例が紹介されていました。現代版「ノアの箱舟」はニューヨークの地下にあるそうです。
 また2011年には、スミソニアン協会が標本を最大42億件収蔵する施設を着工したそうです。国際バーコードオブライフプロジェクトという遺伝子コンソーシアムもあって、その目標は50万種のDNAから500万点のバーコードを作成することだとか。
 ……ああ良かった。今後は、iPS細胞や、生殖補助技術、クローン技術などを使って、科学的に「絶滅」問題に対処できるようになるかも……これらの情報を知って、ちょっと安心してしまったのですが、そう簡単なものではないようです。
 まず、このような方法で再生された生物は「絶滅した生物」と同じなのか? という問題があります。まったく違った「新しく創造された生物」ではないのか?
 そして、遺伝子バンクが代表する技術的な解決策に寄せる信頼はいたって眉唾ものだというヘザリントンさん(ウィスコンシン大学教授)の次の意見は、耳に痛いものでした。
「動物の行動プロフィールは遺伝子のみに基づいて再現されるという考えは、完全に生物学的本質主義的だわ。動物は学習プロセスも文化もないばかりか、情報も学ばないし情報をほかの種に伝えもしないという考え方。とんでもなく人間中心よね。動植物相には種の文化も関係性もないとか、動植物相は遺伝子に集約されるとかっていうのは」
 ……確かに。例えば、「人間」が絶滅して、そのゲノムから数個体だけが再生されたとしたら……彼らは確かに生物としては「人間」かもしれませんが、私たち人間を特徴づけている「文化」がそれだけで再生されるわけがない……そう考えると、絶滅動物の遺伝子だけを保存することに、どれほどの意味があるのかに疑問を抱かずにはいられませんでした。
 またDNAからの絶滅動物の再生には、次のような社会的な面からの反対意見もありました。
「スタンフォード大学の会議では、絶滅した種を復活させることが可能になれば、政策立案者や一般市民が、現在の絶滅の危機をあまり悲惨なものととらえなくなってしまうのではないかという点に参加者の関心が集中していた。」
 ……うーん、確かに。私自身も、「少なくともDNAは保存してあるんだから」と思ってしまいそう……。
「種の保全の未来」がどうあるべきなのか、深く考えさせられる本でした。
「はじめに」で、オコナーさんは次のように語っています。
「人間は期せずして、地球の生物多様性の進化に影響を及ぼす実験を行っているということだ。絶滅を推しすすめるのと同じ力――人間が原因の地球温暖化、生息地の劣化、乱開発、病気、侵入種――が、種の進化の道筋を決めている。さらに、わたしたちがどの生きものを優先するか、その生きものの救済方法をどう選ぶかも、結果として生物圏を弄んでいることになる。」
 また「おわりに」では、オコナーさんは次のように語っています。
「保全の未来では、自然をさらに管理することが求められるのか、または種を堂々と操作するのか、脱絶滅させることになるのか。わたしは、これは人類が野生の地や事物を地球上から消滅させてしまう前にじっくり考えるに値する問いだと思う。」
「わたしたちが種として生きのびるのを支えるために天然資源を搾取する道を選ぶ以上は、絶滅はわたしたちが進化する代償ということになるのだろう。
 地球上に他の種が生きていく余地をわたしたちがつくらない限り、種がどれだけ復活しようと関係ない。これらの種が生きていく場所は、それほど多く残っていないのだから。」
 ……容易に答えの出せない難しい問題について考えさせられる本でした。
 2009年に欧州委員会と世界銀行が発表した調査結果によると、現在、地球上の土地のわずか10パーセントしか「僻地」に該当しないそうです。「僻地」とは都市から48時間以上かかる土地だそうですが……この基準だと、日本の場合は、ものすごく遠くの離島ぐらいしか「僻地」は残っていないのでしょう。豊かな自然が美しいと思っていた日本ですが、気がつけば、都市に住んでいる私が野生動物を見ることは、鳥以外にほとんどありません。私たちは「管理された自然」に生きている……せめて、今あるこの自然だけでも守っていきたいと考えさせられました。あなたは何を感じるでしょうか。ぜひ読んでみてください。
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