『発明【新装版】――アイディアをいかに育てるか』2020/7/11
ノーバート・ウィーナー (著), 鎮目 恭夫 (翻訳)
「サイバネティックス」提唱者のウィーナーさんによる科学技術論。発明発見をめぐる歴史と現在を描き、アイディアを育てるのに最良の知的・技術的・社会的風土を考察しています。
・発明や発見は、公表される(記録に残される)ことで、知的風土に変化を起こすこと。
・レオナルド・ダ・ヴィンチのノートブックでも分かるように、天才的発明もそれを実現する技術の裏打ちがなければ実現しないこと。
・機械と数学と製造・測定技術の発達が、互いに協力して進むこと。
……歴史的発明発見の経緯をたどって、発明発見の性質、それを発達させるための条件などを明らかにしていくのです。
この本の最終章には、次のような記述がありました。
「発明や発見の歴史に見られる基本的な事実の一つは、革新の過程における真に重要な一歩は、少なくとも多くの場合には、知的風土の変化そのものにほかならず、それはしばしば産業的利用に数十年も先立つ。産業化前のこの段階では、新しいアイディアはまだ導入されていない場合もあり、それに行きつくまでの思考の連鎖を形成する人物が一人か二人欠けていると、新しい発展が永久に不可能になることはないにせよ、一世代以上も遅れてしまうことは十分ある。
これに反し、発明の後期段階は、一般的な科学教育と多くの互いに別個の分野での思考が発達して新しいアイディアが評価を受けることが可能になる点まで達することによって始まる場合が多く、そういう評価はたいてい散発的ではなく反復的に起こる現象であり、多くの分野で多くの人により多くの国でほぼ同時に起こる傾向が非常に強い。(中略)
発明のこの第二段階が十分に進み、様々な陣営の発明家たちが自身のもてるアイディアに取り組んでいる時期になれば、それらのアイディアが世の中全体と特に工業と工学に及ぼす影響の評価が徐々に可能になり始める。法的な所有権と保護の問題には、さらに特許弁護士の専門的助言が必要であるが、発明の歩みのこの特許段階を別にすれば、開発と利用の事業を計画することが可能になる。その事業はリスクを伴うが、それは概して計算可能なリスクである。」
ウィーナーさんは、発明や発見は人間社会の役に立つことが大事だと考えているようで、発明発見の所有権は個人に帰属すべきではないと言っています。
「有能で良心的な人間にとっては、大量の金の管理は、その背後にものすごく強い動機がある場合以外は、常に重荷である。」
「真に基礎的なアイディアに対しては、本当の所有権はありえず、そのようなアイディアを社会のために保管する管理責任のみがある。」
その一方で、発明発見を行う人が、のびのびと研究・開発できる環境を整えるべきだとも思っているようでした。
「初期の段階では、発明や発見への道は計算可能なリスクを含むものではない。第一に、真に発明的な頭脳はチャンスに挑まねばならない。(中略)第二に、発明や発見における真に大きな着想は、成熟するまでに長い時間がかかる。」
「比較的基礎的な研究をする者は自分の性分に合うと同時に自分を必要とするような住み家を持つことが社会の利益になるのであり、そのような住み家として相応しいのは多くの場合、自由の愛好と同僚たちから尊重されたい気持ちとが自分にだけ許される特権ではなく職場の自然な環境の一部であるような施設である。」
「科学的創造に報いる報奨は何であれ個人の幸福より社会の幸福を目的にすべきである。そのような報奨は、発見者の新しいアイディアの完全かつ自由な公表を条件にすべきである。真理は、それが人々に自由に手に入る場合にのみ、我々を自由にすることができる。」
ご自身、有能な発明家でもあったウィーナーさんによる「アイディアを育てるのに最良の知的・技術的・社会的風土」に関する考察、とても説得力があると感じました。
なお「解説」によると、この本(『発明』)は、1950年代に書かれたものですが、今回はじめて出版されるそうです。と言うのも、この原稿を書き上げた後、ウィーナーさんは他の小説を書くのに夢中になり、この原稿の代わりにその小説の出版を提案するなどして、結局、『発明』は出版されないままとなっていたからです。もしかしたらウィーナーさん自身は、これを発表する気はなかったのかもしれません。
それでも、この本は、科学者の視点から『発明』の歴史をたどるものであるとともに、新しいアイディアを生み出すために、どんな条件が必要かを考える上で、とても参考になるものでした。発明発見を行う研究者を志す方や、教育者の方は、ぜひ読んでみてください。
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なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。
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