『アンドロイド基本原則』2019/1/29
漱石アンドロイド共同研究プロジェクト (編集)
偉人をアンドロイドとして甦らせる権利が果たして我々にはあるのかについて、夏目漱石のアンドロイド・プロジェクトに関わった人々が考察している本で、2018年8月に二松学舎大学で開催された漱石アンドロイドをめぐるシンポジウム「誰が漱石を甦らせる権利をもつのか?――偉人アンドロイド基本原則を考える」で展開された議論を一つの核としつつ、アンドロイドが本格的にわたしたちの社会に入ってくる未来について、さまざまな観点から考えています。
アンドロイドというと、『どうすれば「人」を創れるか: アンドロイドになった私』の著者の石黒さんのジェミノイドが有名ですが、石黒さんはもちろん、この「漱石アンドロイド」にも深く関わりを持っています(本書の著者の一人です)。本書の冒頭部分には、石黒さん自身のジェミノイドの他、美女のジェミノイド数人、米朝アンドロイド、マツコロイド、さらに黒柳徹子アンドロイドの写真があって、すごく圧巻でした。これらが、人間みたいな感じに動くんですよね……。
私も実際に、日本科学未来館で美女のアンドロイドを見たことがありますが、すごく人間っぽい感じに表情を動かしながら会話しているのに、なぜかマネキンとデパートの受付嬢の中間みたいな雰囲気が漂っていて……もしも自分の部屋の片隅にいたら、思わずドキッとしてしまうだろうなーと思う一方、でも、どこか、なんかが違う……と、もやもやした気持ちになりました(汗)。
ところで2019年現在、アンドロイドというと、当然すごく優秀なAI搭載なのだと思っていましたが、実はまだ、本物の人間と間違うほどの会話ができるAIが搭載されたアンドロイドはいないようです。現状は、人間そっくりの自動腹話術人形に近いのかもしれません。漱石アンドロイドも会話や朗読はできますが、相手の会話の意味を自ら把握して、答えを返しているわけではないようでした。ちなみに夏目漱石さんの肉声は残念ながら残っていないようで、漱石アンドロイドのために、お孫さんの夏目房之介さんに声を提供していただいたそうです。表紙写真でも分かるように、全体として、なかなかイイ感じの漱石アンドロイドのようですね☆
このプロジェクトに関わった方々が、ロボット3原則ならぬ、「アンドロイド基本原則」を考案したというので、興味津々で読んだのですが……人工頭脳を備えたSF的なアンドロイドではなく、あくまでも「現状のアンドロイドの基本原則」だそうで、現状のアンドロイドというのは、残念ながらSFというよりは、「動く銅像」みたいなイメージのようでした(汗)。だから、「アンドロイド基本原則案」のまとめは、次のようなものとなったそうです。
偉人アンドロイドの基本原則(1)アンドロイド制作の自由原則
(故人・遺族の名誉やプライバシーを尊重する限り誰のアンドロイドを製作してよい)
偉人アンドロイドの基本原則(2)アンドロイド運用の自由原則
(偉人本人の社会的人格を尊重する限りアンドロイドに何をさせてもよい。
付則:ただしその行為や発言がフィクションであることを明示しなければならない)
偉人アンドロイドの基本原則(3)アンドロイドの尊厳原則
(偉人アンドロイドは公的にはあくまでも人として扱われなければならない)
偉人アンドロイドの基本原則(4)アンドロイドの無権利原則
(アンドロイド自身には肖像権も著作権も著作隣接権も発生しない
4-1付則:ただしアンドロイドが人格を獲得したという社会的な合意が得られた際には本原則は再検討される)
*
……なるほど。人格が感じられるほど進んだアンドロイドが生まれた(育ったとき)には、そもそも現行の法律全体を見直さなければならないのかもしれませんね。
ところで漱石アンドロイドは、『夢十夜』の「第一夜」を朗読するそうです。「第一夜」というのは、「最期を看取った女の再生を百年待ち続ける男を描いた幻想的な掌編」なのだそうで、それを百年後に甦った漱石アンドロイドが朗読するというのは、なんだかとても不思議なことですね……。
個人的にはアンドロイドよりも、メカっぽいヒューマノイドの方が、むしろ安心して対応できるような気がしますが(汗)、今後も注目していきたいと思います。
* * *
なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。
<Amazon商品リンク>