『天然知能 (講談社選書メチエ)』2019/1/12
郡司ペギオ幸夫 (著)
人工知能ブームの現在、「知能」とは何かを深く考察している哲学的な本です。
タイトルの『天然知能』とは、次のようなものを言うそうです。
「天然知能は、人工知能の対義語として自然に根付いている知性、を意味するものではありません。決して見ることも、聞くこともできず、全く予想できないにもかかわらず、その存在を感じ、出現したら受け止めねばならない、徹底した外部。そういった徹底した外部から何かやってくるものを待ち、その外部となんとか生きる存在、それこそが天然知能なのです。人工知能の対義語は自然知能でしょう。そうではなく「てんねん」は、天然が元来持っている、「ピントのずれた感覚・性格」を揶揄する、日常的に使う「あいつは、てんねんだな」の天然から派生する存在です。派生しながら、それを突き抜けていく。」
……このように、「人工知能」に対する人間の知能を「自然知能」、「天然知能」として、これらの知能の特性を、哲学的に考察しているのです。「あいつは、てんねんだな」の「天然」から派生する知能だというので、アホな話かと思いきや……さまざまな側面から「知能」を熟考している哲学的な本で、後半はかなり分かりにくい感じもしましたが(汗)、いろいろと考えさせられました(残念ながら(?)、表紙の絵や章タイトルから期待させられるようなアホな部分は、あまり感じられませんでした)。
人工知能は「自分にとって役に立つ知識の構築」を行う一人称の知能、自然知能は「世界を理解するための知識の構築」を行う三人称の知能、これに対して天然知能は「世界をただ受け入れる。評価軸が定まっておらず、場当たり的、恣意的で、その都度知覚したり、知覚しなかったり」する一・五人称の知能なのだそうです。
そして、「人工知能や自然知能には創造性がなく、天然知能だけが創造性を持つ」のだとか。なぜなら「人工知能や自然知能は、知覚したものだけを自分の世界に取り込み、知覚できないものの存在を許容できません。そこには外部を取り込み、世界を刷新する能力がないのです。」だからで、「創造とは、外部からやってくるものを受け入れること、なのです。アーティストがイメージするものは、外部からやってくるものが降臨する場所、やってくるきっかけに過ぎない」ならば、外部からやってくるものを取り込もうと待ち構えている天然知能以外は、創造性を持てるはずがないということなのでしょう。
……なるほど。最近は人間最高の棋士まで人工知能(AI)の棋士に負けてしまっているので、将来は、人間は人工知能には勝てないんだろうなーと、ちょっと悲観的になっていましたが、郡司さんの「天然知能しか創造性を持ちえない」、という意見の強い説得力に、なんだか安心してしまいました。
とは言え、本当に「人工知能には創造性を持ちえない」のかどうかについては、正直言って疑問を感じてもいます。創造性の程度にもよりますが、人間の赤ちゃんが高度に技術力の高い芸術を創造できないように、最高に芸術的だと感じられる創造物には、高い知性が必要だと思われます。その場合の「知性」は、この本で言っている「天然知能」だけでなく、「自然知能」も必要なはずで、「自然知能」は「人工知能」に極めて近い知能ではないかと思います。また人間の知能も「神経細胞+電気信号」で実現されていることを思えば、「人工知能」にも「無関係な分野からの連想」などをランダムに添加してやることで、「天然知能」に近い機能を疑似的に与えられるような気もします。
そうは言っても、そういう「天然知能もどきの人工知能」が作り出すたくさんの不揃いな創造物のうち、最もクールなやつを選び出す知能までを構築するには、やっぱり、まだまだ途方もない時間がかかりそうにも感じますが……(なお、作るところまでは、現在でもある程度出来ているようです)。
『天然知能』は、知能に関する、とても面白い哲学的考察だなと感じました。
ところで個人的には、この本の「自然知能」の概念が少し曖昧なように感じました。それを明確にするために、「人工知能」に対する人間の知能を大きく「自然知能」と呼ぶことにして、そのうちの「学校で学ぶ知識体系など、人工知能に近いような知能」を「養殖知能」、「それ以外の知能」を「天然知能」というように分けてみたら、どうでしょう? 赤ちゃんの時には「天然知能」だけがあり、周囲の環境を観察したり、誰かから教えられたり、自ら学んだりして「世界」を学ぶことで「養殖知能」を創り上げていくようなイメージです(笑)。……うーん、こういう感想を持つから、よく「天然」と言われるんだろうなー……(汗)。もっともこの場合、正確には「養殖知能」ではなく、「教育知能」と言うべきだと思いますが(ごめんなさい。ちょっと笑いを取りたかったので「養殖」にしてみただけです)。
それはともかく、これまで「天然ね」と言われるたびに、言外の「アホね」を感じて少しヘコんでしまっていましたが、むしろ「人工知能」を大きくリードできる知能として、自慢しても良い時代が来たのかもしれません(ドヤ顔)。あなたは何を思うでしょうか。読んでみてください。
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