『大人の道徳: 西洋近代思想を問い直す』2018/7/27
古川 雄嗣 (著)
デカルト、カント、ルソーなどの西洋近代思想をもとに、誰もが「道徳」で教えなければならず、学ばなければならない近代の人間と社会と国家の論理を、分かりやすく解説してくれる本です。
「2018年度から、小学校の「道徳」が「教科」になりました。中学校でも2019年度から、「教科」としての「道徳」の授業がはじまります。」という記述に、へーそうなんだーと思うと同時に、「道徳」って私も習ったけど、なんとなく曖昧な感じだったな、自分がもしも子どもに道徳を教える立場になったら、いったいどんな風に教えればいいんだろう? とも思ってしまいました。
この本は、そもそも「道徳」とは何か、さらには「人格」「自由」「民主主義」「国家」とは何か、という基本的な問いに、まず道徳の前提となる「近代」とは何かというごく基本的な意味から解説を始めてくれます。
「「近代」とそれ以前のあいだには、明確な歴史の断絶がある、ということです。(中略)そのなかでも、とくに大きな革命であったとされているのが、「科学革命」「市民革命」「産業革命」の3つです。(中略)近代とは、これまで絶対的に正しいとされてきた宗教の教えや、なんとなく正しいと思われてきた伝統的な慣習などを「信じる」ことではなく、むしろ何が正しいかを、人間はつねに、理性に基づいて「考える」ことをしなければならない時代なのです。」……なるほど。
科学知識や合理精神が進んできた近代以降の人間は、神の支配から脱却して、人間こそが自然と世界を支配していると考えるようになってきたそうです。このことは、「人間自身で、自分の生き方や社会のあり方を考え、決めなければなくなったということを意味」するのだそうです。
そしてデカルト、カント、ルソーなど近代の哲学者の考え方をもとに、次のような疑問を考察していきます。
第1章 なぜ「学校」に通わなければならないのか―「近代」の意味から考える「学校」の存在理由
第2章 なぜ「合理的」でなければならないのか―啓蒙主義から考える「科学」と「道徳」
第3章 なぜ「やりたいことをやりたいようにやる」のはダメなのか―デカルトから考える「自由」と「道徳」
第4章 なぜ「ならぬことはならぬ」のか―カントから考える「人格の完成」
第5章 なぜ「市民は国家のために死ななければならない」のか―社会契約論から考える「国家」と「市民」
第6章 なぜ「誰もが市民でもあり、奴隷でもある」のか―ルソーから考える「市民」の徳
第7章 なぜ「学校は社会に対して閉じられるべき」なのか―共和主義から考える「士民」の徳
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この本には、「「自分のやりたいことをやりましょう」は、じつは「奴隷の道徳」なのです。」とか、「だから統治者が市民に、「汝は国家のために死なねばならぬ」と言うときには、市民は死ななければならないのである。なぜならこのことを条件としてのみ、市民はそれまで安全に生きてこられたからである。」とか、少しぎょっとさせられるような文章も出てきましたが、それらの言葉の背景となる哲学者たちの思想を分かりやすく紹介してくれるので、なるほど、そういう意見もあるよねと理解できました。
個人的には、これまで「道徳」を教えるということには、ある種の迷いを抱いてきました。「道徳を教えること」と「洗脳」とは、どう違うのだろう? と今でも疑問に感じます。ただ、この本を読んで感じたことは、少なくとも「道徳を教えること」は、より良い社会にとって必要不可欠なことだということです。
「民主主義とは、すべての人間に、市民であること、すなわち自由な人間であることを、強制する制度なのです。」
「民主主義は、市民の「徳」にかかっている。」
「市民が「徳」を失った民主主義は、独裁に転落する。」
「市民が国家をつくることと、国家が市民をつくることとが、入れ子のように往還し続けること、これが自由と民主主義を守り抜く、不可欠の要素となるのです。」
より良い民主主義社会に生きていくためには、市民全員が努力し続けなければならないのです。そして社会の新しい構成員となる子どもたちを、彼らも含めた社会全体がより幸福になる方向へ導いてやることは、大人の義務なのでしょう。
とは言っても、子どもたちに「自分を犠牲にしても他人のためになる人間になれ」とまでは教えたくはありません。なぜなら世の中にいるのは善人だけでなく、他人の人権を損害したり喰いモノにしたりしても罪悪感をもたないような人間が少数ではあっても確実にいるからで、そのような現実の中でも最低限「自分の身を守れる人間」に育てたいと思ってしまうからです。「自分の身を守りつつ」社会全体のためにもなる人間に育てたい……個人的にはそういう思いを抱いていますが、バランスが難しいと感じています。
「大人」としてどのように「道徳」を教えていったらいいのかの迷いはまだありますが、それでも、少なくとも私自身が心がけてきた「道徳の心」は、伝えていきたいと思います。それは、「他人にして欲しいと思うことを自分もする一方で、他人にして欲しくないことは自分もしない」ということと、「みんながそれをやったらどうなるかを考えて行動する」ということです。
「道徳」だけでなく、「人間はどうあるべきか」、さらには「国はどうあるべきか」まで考えさせてくれる本でした。ぜひ読んでみてください。