『失敗の哲学―人間は挫折から何を学ぶか』2001/12
畑村 洋太郎 (著)

失敗に学ぶことの大切さを説く、「失敗学」の提唱者・畑村東大名誉教授が監修した、「失敗哲学」集です。
本田宗一郎さんや小泉元首相などの一流の人たちが、失敗経験をどう活かしたかを知ることが出来て、やっぱり一流の人たちはメンタルがすごく強いんだなーと思わされるとともに、一流の人でも失敗して落ち込むこともあるんだなーと、勇気づけられました。
なかでも、肩の酷使で野球をやめることになってしまった元ライオンズの稲尾投手の「第6章 油断と過信が私の選手生命を断った」は、苦しみや、苦境からの立ち直りがご本人の口からリアルに語られ、そんな状態だったんだ……と読んでいても苦しくなるほどでした。
それでも稲尾さんは、「(前略)最悪のシーズンだった。しかし、とてもいい経験をした年だったと思う。人間としての生き方はもちろんのこと、何かコトが起きたとき、「どうしよう? どうする?」と慌てふためいてしまうのではなく、「どうなっているんだ?」と、目の前で起きたことを冷静に受け止めて分析するようになれたからだ。簡単にいえば、慌てないということか……。ひらきなおりとはちょっと違う、「現実を冷静に受け止めて、順応する」という打たれ強さを、それ以後、身につけたのだ。」と言っています。
ライオンズの優勝に貢献しただけでなく、個人成績も8年連続20勝以上、MVP、最優秀投手、防御率、最多勝、最優秀勝率……という野球の歴史的にも最高の野球選手の一人ですが、メンタルも最高なんですね……。
この他にも、ワタミの渡邉さん、ハウス・オブ・ローゼの川原さんなどが、ご自分の失敗体験を語ってくれます。失敗体験は成功体験よりも、人間を成長させてくれるのだと、心の底から感じさせられました。
さて、この本の中で畑村さんは、「一つの成功の陰には多くの失敗が隠れている。ところが、日本では失敗した人間自体をとがめる傾向が強い。だから、その知識化にも、社会全体があまり取り組んでこなかった。結果として(また必然的に)、失敗を恐れてチャレンジしない人が多くなってしまった。」と言っていますが、確かに、そういう傾向があるような気がします。そして、子どもたちにも「ナイフを持たせない」などの方法で、「そもそも失敗をさせない」よう守ってあげているような気がするのです。このことについて、畑村さんも心配していますので、少し長いですが、以下に紹介させていただきます。

「危ないから」とナイフを取り上げられたことで、たしかに子供たちが手を切ることはなくなった。ただし、このことによって、逆に子供たちはナイフで手を切るという小さな失敗ができなくなった。手を切ることがないから、血を止めたり、消毒するといった救急処置が学べない。自分で手を切ったことがないから、人の痛みがわからないし、ナイフの怖さも理解できない。
さらに予見性も身につかない。こういうことをやったら、どんなことが起こって危ないか、といった訓練がなされないのである。行動する前からその行動の結果予測を自分の頭のなかでつくり上げていく能力というのは、たとえばナイフを使って痛い目にあい、痛みを実感するといった経験や体験のなかから育まれていくものだ。
怖さを知らないうえに痛みがわからない。なおかつ予見もできない子供が大人になったとき、話の筋だけを見て人間を見ないリーダーばかりになってしまう。私が一番恐れるのは、そこなのだ。

人間は愚かなので、「失敗」しない人間はいないと思います。私自身もナイフで手を切り、金づちで手を叩き、痛い思いを重ねて、いろんな怖さを実感して育ってきました。いろんな「失敗」を自分の身体で受け止め、自分で癒し、自分がやらかした失敗については、自分自身の知恵と努力で解決しなければいけないことを、きちんと学ばせてもらったのだと思います。それは愚かな人間にとって、とても大事なことなのではないでしょうか。
失敗を「よい失敗」として、その後の人生、さらには人間社会の中で活かしていくように、私自身も努力していきたいと思います。
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