『CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見』2017/10/4
ジェニファー・ダウドナ (著)、サミュエル・スターンバーグ (著)、櫻井 祐子 (翻訳)

ヒトゲノムを構成する32億文字のなかから、たった一文字の誤りを探し出して修正するという画期的な遺伝子編集技術CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス9)。これを2012年に「サイエンス」誌に発表したジェニファー・ダウドナ博士が、この技術を見出すにいたるまでの経緯や、その利用、最新動向などを詳しく紹介してくれる本です。
「プロローグ まったく新しい遺伝子編集技術の誕生」の冒頭には、この章の要約があります。
「細菌がウイルスに感染しないために持っている免疫システムを、遺伝子の編集に利用できる。私たちが、その技術CRISPR(クリスパー)-Cas9(キャス9)を発表したのが二〇一二年。以来、遺伝子を数時間で編集できるこの技術が、人類史上稀にみない変化をひき起こしている。」
この本を読んで、CRISPR-Cas9は本当に「人類史上稀にみない変化を引き起す」ものだということを畏怖とともに実感しました。
「第一部 開発」「第1章 クリスパー前史」には、次のような文章があります。
「CRISPR-Cas9を使えば、ゲノム(全遺伝子を含むDNAの総体)をまるでワープロで文章を編集するように、簡単に書き換えられるのだ。」
「今や私たちは、生きているすべての人間のDNAだけでなく、次世代のDNAをも編集する力を、つまり私たち人類の進化を方向づける力を史上初めて手にしている。」
CRISPRとは、細菌の中のDNA塩基配列に見られる不思議な「回文」のことですが、CRISPRやRNAの研究によって、ゲノムの中の「書き換えたい部分」を選んで書き換えることが、今までの遺伝子編集技術よりも、ずっと安価で容易に出来るようになったそうです。
「第一部 開発」では、これまでの遺伝子編集技術、CRISPRの研究経緯、CRISPRの仕組みなどが詳しく語られて、すごく勉強になりました。最新の遺伝子編集技術などの解説が役に立つのはもちろんですが、科学者同士の交流でCRISPRの研究がどんどん深まっていったこと、研究のための人材の割り当て、組織作りなどの面も、研究者の方には、すごく参考になるのではないでしょうか。
また「第二部 応用」では、まず「第5章 アジア象の遺伝子をマンモスの遺伝子に変える」というタイトルで、「CRISPR を利用した様々な試みが、世界中の研究室であるいは企業で始まっている。ウドンコ病の遺伝子を除去したパンコムギの作成。角の映えない牛。ハードード大はマンモスを現代に蘇らせるプロジェクトも始めた。が、倫理的境界をどこにひくべきか?」が語られます。小説・映画『ジュラシック・パーク』では、絶滅した恐竜を蚊の化石から再生させる方法が出てきて興奮させられましたが、CRISPR を使うと、なんと同じように過去の種を蘇らせることが出来るのだとか! 実際にケナガマンモスにこの戦略が用いられているそうです。SFみたいですね……。
この第二部では、続いて「第6章 病気の治療に使う」で、CRISPR技術で病気を治療するさまざまな方法が紹介されます。
「CRISPRによって高精度な遺伝子編集が以前と比較して容易になったおかげで、少なくとも原因となる変異が特定されているすべての遺伝性疾患が、治療可能になったのだ。遺伝子を編集してがん細胞を認識・攻撃するようにした免疫細胞が、すでに一部のがんの治療に用いられ始めている。CRISPRを利用した治療が普及するのはまだ先のことだが、とてつもない可能性はすでに明らかになっている。遺伝子編集は患者の人生を変え、命を救う治療法を約束するのだ。」という文章には、明るい未来を期待してしまいますが、
「もし遺伝子変異が不可逆的なダメージをおよぼす前に、健康なタンパク質を合成するよう遺伝子を修正できれば、一度きりの介入で生涯にわたる治療効果をおよぼすことができる。」には、明るい未来とともに一抹の不安も覚えてしまいました。「一度きりの介入で生涯にわたる治療効果」のような劇的な変化を起こすときに、もしも間違ってしまったら?
実際にCRISPR研究では、オフターゲット効果(誤切断)が出たこともあったようです。
「どんな医薬品にも何らかのオフターゲット効果はつきものであり、オンターゲットに期待される利益がオフターゲットのリスクを上回る限りは、一般に医師や規制当局はこれを許容している。」
「遺伝子編集では、オフターゲットDNA配列はいったん編集されてしまえば、二度と元に戻すことはできない。意図しないDNA編集それ自体が永久的というだけでなく、もとの細胞が分裂を起こすたび、そのDNAは複製されていく。」
という文章には、この技術の持つ潜在的な危険性を感じずにはいられませんでした。この技術、もしかして……どえらく危険な兵器にもなりうる技術なのでは?
実際に「第8章 福音か疫災か?」では、米国の諜報機関がCRISPRを「第六の大量破壊兵器」と指摘した報告書を書いたことが明かされています。この技術には、「原子力の研究」と同じように光と影の両面があることを肝に銘じるべきなのでしょう。
著者のダウドナさんは、「第7章 核兵器の轍は踏まない」で、科学者や一般の人に向けて、さまざまな呼びかけをしています。その一つが、2015年3月19日に発表した論文「ゲノム工学と生殖細胞系の遺伝子改変が進むべき慎重な道」の中の次の四つの具体的提言です。その一部を抜粋して紹介させていただきます。
1)科学者と生命倫理学会の専門家に対し、一般市民の有志が新しい遺伝子編集技術およびその潜在的リスクと利益、関連する倫理的、社会的、法的影響に関して信頼できる情報を入手できるよう、公開討論の場を設けてほしいと呼びかけた。
2)研究者に対し、臨床応用の前に安全性がよりよく理解されるよう、ヒト培養細胞やヒト以外のモデル動物を用いてCRISPR技術の検証と開発を継続するよう要請した。
3)安全上、倫理上のすべての問題をオープンに透明性をもって話しあうために、この件に関して意見を持つ多様な利害関係者を巻きこんだ国際的な会議の開催を呼びかけた。
4)科学者に対し、ヒトゲノムに遺伝可能な改変を加える研究の自粛するよう呼びかけた。

私たちのゲノムを自在に書き換えられるというこの技術は、生物のみならず植物にも応用できるので、食生活・医療・経済活動など、今後の私たちの世界を間違いなく大きく変えていくことでしょう。だから一刻も早く、この技術の使い方について、真剣に検討していく必要があると思います。
ただし、CRISPR技術が計り知れない危険性を秘めているとしても、すでに遺伝子編集技術がここまで進んでいて、それがもたらす明るい未来も見えているのだから、この動きを止めることは、もう誰にも出来ないとも思います。ダウドナさんも次のように言っています。
「革新的な技術は、いったん世界に解き放たれれば、二度と封じ込めることはできない。新たな技術に性急に飛びつけば、そのこと自体が別の問題を生んでしまう。」
また、CRISPR技術には、生殖細胞系編集の是非以外にも、次のような倫理的問題があると、ダウドナさんは考えているようです。
1)救命目的での生殖細胞系の編集がいったん解禁されたら、その使われ方を誰がコントロールできるのか。
2)CRISPRが社会にどのような影響を及ぼすのか(経済格差が遺伝的階層につながる可能性など)

遺伝子編集技術は、すでにここまで進んでいるのか! と衝撃を受けさせられた本でした。真剣に検討しなければいけない非常に難しい問題を抱えてもいますが、個人的には、特に医療分野での研究の進展に、すごく期待したいと思います☆
この本は、遺伝子編集技術CRISPR-Cas9を一般の人にも広く知ってもらう目的で出されているようなので、かなり分かりやすく書かれてはいるのですが、内容がすごく専門的なので、専門知識がない方には難しいかもしれません。でもこのCRISPR-Cas9はものすごく画期的な技術で、私たち人類の世界を、大きく変える可能性が大いにあると思います。ぜひ読んでみて下さい。お勧めです☆