『植物に死はあるのか 生命の不思議をめぐる一週間 (SB新書 623)』2023/7/6
稲垣栄洋 (著)
生命とは何か? 死とは何か? 生きるとは何か? ……ある植物学者の一週間の思索の物語で、内容は次の通りです。
プロローグ 命を考える一週間
月曜日 どうして植物は動かないのか?
火曜日 植物と動物はどこが違うのか?
水曜日 草って何?
木曜日 木は何本あるのか?
金曜日 木は生きているか?
土曜日 植物は死ぬのか?
日曜日 植物は何からできているのか?
エピローグ 最後のメール
*
植物の定義など植物学に関する基礎知識の解説をはじめ、生物や植物に関する興味深い話が、大学で植物学を教える教授に毎日届く質問メールへの回答(を書くための深い思索)という形式で綴られていきます。
知らなかったことや、気づかなかったことが次々紹介されていって、とても面白く読めました。
例えば「木曜日 木は何本あるのか?」では、タネなしの果実の作り方には、さまざまな方法があるとして、まず、花粉の働きを阻害するジベリンという植物ホルモンの液にブドウの房をつけて種なしブドウにする方法が紹介された後、スイカなどに施される「三倍体」を使う方法が次のように紹介されていました。
「(前略)タネなしスイカは、まず減数分裂が起こらないような処理をする。すると、二倍体の花粉と二倍体の胚珠が受精して四倍体の植物となる。この四倍体のスイカに、通常の二倍体のスイカを交配することで、三倍体のスイカをつくるのだ。(中略)
こうして作られた三倍体のスイカは、染色体が三つで一セットとなるため、花粉や種子ができるときに、半分に分かれることができない。そのため、花粉や胚珠が作られずにタネなしとなるのである。」
……ええー! なんか凄い方法だなーと驚いてしまいましたが、実はこういうことは自然にも起こっているそうで、私たちが食べているバナナも「三倍体」なのだとか! というか、バナナをヒントに、タネなしスイカが開発されたそうです。
他にも興味深い記事がたくさんありました。例えば、「金曜日 木は生きているか?」では、「(前略)生きている木も、そのほとんどは死んだ細胞からできている。」そうで、実は木の中心部は死んでいて、樹皮を取り除いた幹の一番外側の薄い部分だけが生命活動を行っているそうです。そして、よくよく考えれば、なんと私たちも同じなのだとか。次のように書いてありました。
「私たちの皮膚の一番外側にある「角質層」は、じつは死んだ細胞である。
私たちの体は、死んだ細胞に包まれているのだ。
樹木は生きた細胞が死んだ細胞を包んでいる。一方、私たち人間は死んだ細胞が生きた細胞を包んでいる。
反対と言えば、反対だが、死んだ細胞と生きた細胞で体ができている点では、まったく違いがない。
そうだとすると、私たちの体は生きていると言えるのだろうか。」
*
そして思わず笑ってしまったのが、次の「脳」の話。
「生物にとってもっとも大切なことは、生き抜くことである。与えられた命が失われるその瞬間まで生きる、それが生命の本質である。
それなのに、私たちの脳はどうだろう。
ときに「生きたことに疲れた」など言ってみたりする。ひどいときには、「生きたくない」「死にたい」などと考える。こんな細胞は、生物としては失格だ。(中略)
「死にたい」と考える細胞より、黙々と生きて死んでいく爪の細胞や髪の毛の細胞こそが、よほど生命として優れている。
それでも、「脳」が私たちの生命の本質なのだろうか?」
……うーん、確かに(笑)……「脳」は体の中で一番偉い奴(司令塔)なんだと思っていたけど、他の臓器よりダントツでナマケモノなのかも(苦笑)。
また生死をめぐる話で、もう一つ意外だったのが、「土曜日 植物は死ぬのか?」の「不老不死」に関する次のような話。実は、「生物は「不老不死」の生物(細胞分裂が永久に続く単細胞)から、「老いて死ぬ」生物(多細胞)に進化をしたのだ。」そうです。
「同じ単細胞生物でも、少し複雑な構造をしたゾウリムシは違う。
ゾウリムシも分裂をして殖えるが、分裂できる回数に限りがある。そして、与えられた分裂回数が終わると寿命が尽きたように死んでしまうのである。
そのためゾウリムシは、死ぬまでに他の個体とくっついて遺伝子を交換するということを行う。そうすることで分裂回数はリセットされて、再び分裂ができるようになるのである。
こうして二匹のゾウリムシから、新しい二匹のゾウリムシが生まれる。
生まれ変わったゾウリムシは、元のゾウリムシと違う個体である。だから、これは新たなゾウリムシを残して、元の個体は死んでしまったと見ることができるかも知れない。
つまりはゾウリムシは死ぬのである。
生物が死ぬのは当たり前ではない。生物は進化して死ぬようになったのだ。」
「一つの命がコピーをして殖えていくだけであれば、環境の変化に対応することができない。環境の変化に適応するためには、自らも変化しなければならないのだ。(中略)
この新しい生命を生み出すための破壊が「死」である。
こうして生命はスクラップ・アンド・ビルドによって変化していく方法を生み出したのである。(中略)
新しい命を宿し、子孫を残せば、命のバトンを渡して自らは身を引いていく。
この「死」の発明によって、生命は世代を超えて命のリレーをつなぎながら、永遠であり続けることが可能になったのである。
永遠であり続けるために、生命は「限りある命」を作り出したのである。」
*
……なるほど……。
さらに「日曜日 植物は何からできているのか?」では、「植物は根、茎、葉、花、実だけの器官からできている」、「それらはさらに細胞からできている」、「それらはさらに炭素からできている」と考えていって……
「そして今、私の体を構成している炭素は、再び宇宙にばらまかれ、そして、宇宙のどこかで新しい星を生み出すのだ。」
……という壮大なスケールの思索へとつながっていくのでした……。
『植物に死はあるのか 生命の不思議をめぐる一週間』、植物とは生命とは何か、を深く深く考えていく物語でした。と言っても、エッセイ風の軽い語り口で、ところどころに可愛いイラストもあり、とても読みやすかったです。楽しく読み進めているうちに、自然と植物学や生物学のことも学べてしまう素敵な本なので、みなさんも、ぜひ読んでみてください。
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