『コード・グレー――救命救急医がみた医療の限界と不確実性』2024/8/20
ファーゾン・A・ナーヴィ (原著), 桐谷知未 (翻訳), 原井宏明 (監修)

 つねに死と向き合い、自身の善悪の概念を試され、複雑で予測不可能なER(緊急治療室)の現場。ニューヨークのERに勤める若き救急医が、率直な想いを巧みな構成で描くノンフィクションで、内容は次の通りです。
まえがき
プロローグ 新型コロナウイルス
第1部
第1章 死を告げるもの
第2章 医学の学位と子犬の対決
第3章 命を救う行為の猛烈な勢い
第4章 オーケストラとひとりの観客
第5章 必死に手がかりを探して
第6章 生きる基準を再設定する
第7章 銃で撃たれた傷、フォークを飲み込む人、そして真実
第8章 「緊急治療室で扱うことはすべて緊急事態ではないのか?」
第9章 基本原則が揺らぐこともある
第10章 明らかに枠を外れた章
第2部
第11章 がんだった咳
第12章 ついに序章が始まった
第13章 お役所的な要求の不条理
第14章 死因――不明
第15章 知識は力か、無知こそ幸いか
第16章 死亡した患者に許可を求める方法について
第17章 「救急室で目にしたいちばんありえないことは?」
第18章 宝くじ
エピローグ
謝辞
監修者あとがき
原注
   *
 この本は、コロナウイルスのパンデミック発生時のER(救命救急室)の現場から始まります。そこで起こっていたのは、どのように治療していいのかすら分かっていない新しい感染症、次々訪れて来る患者たち、ひっ迫する医薬品や衛生用品……絶望的な状況のなか、医療従事者が自らや家族を危険にさらしつつも奮闘する毎日が描かれていきます。
 コロナウイルスの時に日本がそうであったように、アメリカでもマスク等が大幅に不足し、医療従事者にさえ行き渡らない状況だったようです。しまいにはマスク不足に対処するため、使用済みマスクをできるだけ安全に使い回す方法まで編み出していたようです。新型コロナウイルスは物の表面では72時間しか生存できないと推定されたので、使用済みマスクを数日間置いておけば、ウイルスが寿命を全うして自然死するはずだから、四枚のマスクをローテーションで使える……使用後に日時が経ったマスクの方がむしろ安全だという発想は、一般人にはなかなか思いつかないものですが……アメリカでも、こんなにも大変な状況だったんですね。しかも帰宅する時には、家のものを汚染しないよう、細心の注意を払わなければなりません……。
 こんな状況でも、医師たちは新しい感染症に、前線で対応しながら治療法を模索していたようです。次のように書いてありました。
・「自分たちの経験を持ち寄ることで、ひとりでは気づけなかったはずのパターンを集団の力で見つけることができた。息を切らしている患者にどのタイミングで挿管すればいいのか、人工呼吸器をどういう設定にすれば生存の可能性を最大限に高められるか、悪化する危険性が最も高いのはどのような人か。個人的な興味に基づく所見として書き留めた物事が、のちのこの病気の確立した知識になっていくのを目にした。」
・「シアトル、ロサンゼルス、ヒューストン、デンヴァー、そしてニューヨークのほぼすべての行政区に属する救急医たちが、絶え間なく会話を続けることで、パンデミックの最前線に立っていた。わたしたち自身が最良の情報源であることを自覚していた。」
・「実は、仕事をこれほどむずかしくしたのは、正しい行動方針が存在しない状況にあることを知りながら、とにかくそれを追求しなければならないことだった。」
   *
 ……新型コロナウイルスでは、さまざまな問題が頻発しましたが、よく考えると、これは以前からあった問題が顕在化したものだとも書いてありました。
「新型コロナウイルス感染症は建物を解体する鉄球ではなく、拡大鏡だった。アメリカの医療を壊したのではなく、以前から壊れていることを暴いたのだ。」
 なおこのパンデミックではなんと……
「パンデミック発生から十二カ月が過ぎるまでに、三千六百人以上のアメリカの医療関係者が新型コロナウイルス感染症で死亡した。」
 ……医療従事者たちは、本当に大変な状況のなかで治療してくれていたんですね……。
 そして「第1部」は、ER(救命救急室)に、急死した女性が運ばれてくるシーンから始まります。女性は明らかに絶望的な状況にありますが、彼女の家族(夫)が来るまで、病院では緊急検査や蘇生の試みが次々に行われていきます。この女性は三十分の間脈がなく、回復する望みはありませんが、いつ亡くなったかどうかを決めるのは、意外に曖昧なようでした。次のように書いてありました。
「(前略)つまり結局のところ、この死者が実際にはいつ亡くなり、回復の見込みが完全になくなったという疑問に対し、明確な答えはないということだ。」
 この後も、救命救急室(ER)では、どんなに手をつくしても治療できない患者や、経済的・社会的な問題を抱えた患者など、さまざまな問題事例に対処してきたことが、次々と紹介されていきます。
・「(前略)現代医学は驚くほど進歩していると同時に、頑ななまでに石器時代的でもある。文字通り新しい心臓を与えることはできるかもしれないが、体力を奪う慢性的な腰痛に対してはほとんどどうすることもできない。」
・「(前略)人生には、完璧な解決策や“正しい”行動指針がないこともある。しばしば未知の物事に囲まれながらも、行動を起こさなくてはならない。正しい行動が存在しない、きびしい事態に直面するのが日常だ。」
 ……そして若き救急医は、この章の冒頭でERに到着した、死亡女性の夫に、手を尽くした甲斐もなく女性が死亡したことを告げます。こんなときでも、遺族が悲しみにくれる暇もないまま、死亡にともなう事務手続きが始まり、回復の見込みもなかった死亡者に行われた医療行為への費用の請求もなされることに、対応した若き救急医は、やましさにも似た心苦しさを覚えるのでした。
 続く「第2部」では、アメリカの医療制度や死亡に伴う手続きに内在する問題や、ガンの告知問題(患者に知らせまいとする家族と、本人に知らせないまま治療を進めていいのかについて悩む医師)などの問題が、さらに深堀りされていきます。
 ここでは再び、先ほど急死した女性のエピソードの続きが始まります。死亡に関する書類の記入項目に必要だったため、若き救急医は検査値を再び詳しく調べ、彼女の直接の死因が実は子宮外妊娠だったことに気づきます。そのことを、また女性の夫に知らせなければならないのです……。
 この本は、ERの現場には、日々とてつもなく心を揺さぶられるシーンが訪れ、医療従事者たちは、死の衝撃を感じないふりをしていても、実際には影響を受けずにはいられない(医療従事者には精神疾患や自殺者なども多い)ことを教えてくれます。
「エピローグ」には、著者のナーヴィさんが、医師として救急対応をしながら感じる「やましさ」について、次のように書いてありました。
・「(前略)最も生々しい人間のありかたに間近に接していながら、まともな解決策もなく、すっきりとした区切りもなしに歩み去るしかないというやましさ。
 本書は、そういうやましさを覚えた多くの瞬間に対処しようと試みた結果だ。」
・「(前略)私にとって、本書で探求したアイデアやテーマは、さらに大きな何かへ向かうための出発点にすぎなかった。あなたにとっても同じであってほしい。わたしの未解決のジレンマや答えのない問いに、いくらかの不快感を覚えてほしいと願っている。この不快感が、人生にとって最も重要な問い――途方もなく重要でありながら目をそむけてしまいがちな問いについて考えるきっかけになればと願っている。そういう問がどんな旅へと導き、どんな結論に達するとしても、あなたもわたしたちの不快な経験を認識し、そのニュアンスと機微を歓迎し、その不確かさを味わえるようになってほしいと思う。」
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『コード・グレー――救命救急医がみた医療の限界と不確実性』……このノンフィクションでは、現場で起こるさまざまな問題に、悩みつつも誠意をもって対応し続ける救命救急医の日常をリアルに知ることが出来ました。医療現場ほどドラマチックではありませんが、他の仕事現場でも、同じような葛藤を感じることは多々あるのではないかと思います。
「(前略)人生には、完璧な解決策や“正しい”行動指針がないこともある。しばしば未知の物事に囲まれながらも、行動を起こさなくてはならない。正しい行動が存在しない、きびしい事態に直面するのが日常だ。」
 ……きびしい事態の中でも、常に「より良い解決策」を模索して行動し続けていくことが重要なのではないでしょうか。
 救命救急医の日常を知ることが出来ただけでなく、いろいろなことを考えさせてくれるノンフィクションでした。みなさんも、ぜひ読んでみてください。
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