『からだの錯覚 脳と感覚が作り出す不思議な世界 (ブルーバックス)』2023/4/13
小鷹 研理 (著)

「からだの錯覚」を通して人の身体や脳の実態に迫る本。「自分」という、もっとも身近にありながら、つかみどころのないもののイメージが、脳や五感などによってどんなしくみで作られているのかとともに、錯覚を感じるさまざまな方法を紹介してくれます。内容は次の通りです。
序章 錯覚体験
第1章 「からだ」とはなにか~自分として感じられる身体と物体としての身体
第2章 目で見る視覚と頭の中にある視覚――目を閉じることで広がる「からだ」の感じ方
第3章 弾力のある身体――空想の世界にも想像しやすいものとそうでないものがある
第4章 からだの錯覚は思い込みと何が違うのか――錯覚が生まれる、その時脳は……
第5章 「身体」なのか「モノ」なのか――自分のような自分じゃないような「きもちわるさ」の由来
第6章 幽体離脱を科学する――不思議な現象が導く、さまざまな可能性
   *
「第1章 「からだ」とはなにか」には、次のように書いてありました。
「突然ですが、みなさんは、身体のどこかが痒いのだけれど、いくら探ってみてもどこが痒いのかわからなくて、とてもイライラした、というような経験はありませんか。(中略)
 本書の冒頭で、なぜこのような「所在なき痒み問題」を取り上げたのかというと、この種のエピソードには、この本の主題であるからだの錯覚の問題を考えるうえで非常に有用な材料がたくさん詰まっているからです。」
 ……これ、私にも経験があります。痒みだけでなく、痛みでもそういう経験がありますが、痛みは「身体のどこかに不調がある」ことを示すサインで、必ずしも「痛んでいる」部分の不調ではないことがあるそうです。私の場合、風邪をひくとなぜか歯が痛むことがありましたが、回復するとなぜか歯の痛みも消えていて、とても不思議に思っていたのです。これは「身体のどこかに不調がある」ことを示すサインだったんだろうなーと思って納得してしまいました。
 人間の身体の感覚は、複数の情報が統合されておこっているようです。次のようにも書いてありました。
「私たちの身体に生まれる、それが自分のからだであるという感覚=「からだ」は、複数の情報が整合されていることによって担保されているということが理解できたと思います。」
 ……このことが「からだの錯覚」につながっているのかもしれません。
 さて「身体の錯覚の基本」として、代表的な「ラバーハンド錯覚」は、次のような錯覚を言います。
「(前略)自分の手を衝立で隠した状態で、体験者から見えるゴムの手と、体験者からは隠れた自分の手の同じ部分に、同時に触覚刺激を与えるというものです。そうすると、ラバーハンドが自分の手そのもののように思えてくると同時に、刺激の後で、目を閉じて自分の右手の位置を左手を使って指さすように案内すると、錯覚を強く感じる人の手の位置感覚が、より強くラバーハンドの方に引き寄せられているということがわかりました。」
 この「ラバーハンド錯覚がある程度の強度で起こるための一般的な4つの空間条件」は、次の通りです。
1)自分の手を隠してラバーハンドのみを呈示する(「一つの身体」条件)
2)ラバーハンドを自分の手の形に似せる(形状類似条件)
3)自分の手とラバーハンドの距離を20cm程度以内とする(身体近傍条件)
4)自分の手とラバーハンドの向きを揃える(姿勢整合条件)
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 ……こんな比較的簡単な条件を満たすだけで、ゴムの手を自分の手と錯覚してしまう……人間の感覚は、かなりいい加減なのかもしれません(苦笑)。
 そして「皮膚」の場合は、もっと簡単に錯覚が生じてしまうようです。
「触覚よりも視覚や聴覚に左右される、変幻自在な皮膚のマテリアル」として、
「マーブルハンド錯覚(皮膚へのタップと同時に「コツン! コツン!」という音がすると、皮膚の素材感覚が石のように硬くなる)」と、
「軟体動物ハンド(皮膚への触覚と同時に、シリコンの手に鍵の先端を深く差し込む光景を見ることによって、皮膚の素材感覚がシリコンのように柔らかくなる。)」などの錯覚が紹介されていました。
 そして「第4章 からだの錯覚は思い込みと何が違うのか」では、心理実験や、脳内活動をスキャニングする脳機能イメージング技術で、「からだの錯覚」が脳科学的にも研究されていることが紹介されていました。
 ただし「からだ」は複数の感覚からの旋律を調停するオーケストラ認知の場なので、「からだ」専門の領域を同定するのは非常に困難なのだとか。さらに個人差もあるようです。
「第5章 「身体」なのか「モノ」なのか」では、乗り物酔いの気持ち悪さと、からだの錯覚に付帯する「きもちわるさ」には共通したものがあることが、次のように書いてありました。
「(前略)乗り物酔いとは、予測誤差に基づいて無意識と意識の切り替えを行うシステムの中で、自己位置に関する「答え合わせ」の失敗に特有の生理現象なのです。
 からだの錯覚に付帯する「きもちわるさ」も、大まかなレベルでいうと、乗り物酔いと同様に、脳内の予測と応答のずれの副作用として生じます。結論から言うと、乗り物酔いが自己位置に対する予測の不調であるとすると、からだの錯覚による「きもちわるさ」とは、自己像に対する予測の不調であるということができます。」
「(前略)脳内予測と現実とのズレ一般に対して「酔い」という概念を拡張的に適用すると、乗り物酔いやVR酔いの気持ち悪さとは、「自己位置に対する酔い」であり、ラバーハンド錯覚に伴う「きもちわるさ」とは「自己像に対する酔い」であると整理することができるでしょう。」
 ……このようなからだの錯覚を研究することは、メタバースにも寄与するようです。
「近未来のメタバース空間の存在意義を考えてみると、自己の身体のイメージを物理世界の限界を超えて運用することの利点は計り知れません。したがって(物理世界ではなく)主観世界の空間限界を見定める錯覚理論を確立することは、今後のメタバース空間の設計において、極めて重要な意味を持つはずです。」
 そして最終章の「第6章 幽体離脱を科学する」では、オカルト現象のように思われがちな「幽体離脱」も、「からだの錯覚」の一種であることが示唆されていました。
「心理学者のブラックモアは、幽体離脱現象が、高いストレス下で、脳を感覚入力(身体内外からの刺激)から切り離し、内部の情報源を基礎にして脳が作り出す現実のモデルである、という理論を提唱しています。」
 また幽体離脱と夢は、空間演出において共通の土壌を有しているかもしれないのだとか。次のように書いてありました。
「(前略)幽体離脱とは、夢から覚めない夢なのです。ではなぜ、幽体離脱においてのみ、夢の中の世界が、夢から覚めた後の世界の中に包含されるのでしょうか。それは何よりも、幽体離脱中に俯瞰された「自分」が、離脱前後のこの「自分」と同一のものである、という強い確信があるからです。」
 ……こんな不思議な幽体離脱は、三次元空間のシミュレーション能力の高い人に起こりやすいそうです……うーん、私は幾何学や三次元空間の把握が苦手なので、幽体離脱経験はできないのかも……。
 身体とはなにか、感覚とはなにか、自分とはなにか、について考えさせてくれる本でした。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
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