『雑草の文化誌 (花と木の図書館)』2022/8/19
ニーナ・エドワーズ (著), 内田 智穂子 (翻訳)

 歴史的に薬や食材として利用され、生態系のなかで大切な役割も担ってきた雑草について、様々な視点から紹介してくれる『雑草の文化誌』。雑草の写真や、昔の風俗写真、イラスト、絵画などのカラー図版も約100点掲載されています。
「第1章 雑草とはなにか」には、次のように書いてありました。
「価値があると思う植物を雑草とは呼ばない。雑草とは野生の花でも薬草でもない。貴重な植物や探し求められる植物でもない。雑草を雑草たらしめるのは、私たちの態度なのだ。」
「昔の人が初めてある植物に汚名を着せたのは、その植物が厄介で美しくないと感じたからだ。そしてこのとき、雑草という概念が生まれた。」
 ……確かに。
 興味深かったのは、「第2章 雑草の歴史」で紹介されていたダーウィンの実験。
「ダーウィンはケント州の田舎町の家ダウンハウスに引っ越し、持論を確かめるため庭で実験を行った。果樹園の一区画を掘り起こし、柵で囲ってそのまま放置し、なにが育つのか、待ち、観察した。もちろん生えてきたのは雑草だ。芽を出したら、それぞれをきちんと記録できるよう脇に針金を刺しておいた。すると、やがて無慈悲な自然選択がおこなわれ、粗野な雑草が繊細な雑草を排除していった。」
 観察の結果は、「あまり丈夫でない雑草はすべて消滅し、たまたま丈夫に育った雑草が生き残っていく」ことになったようです。ダーウィンさんは、雑草の実験もしていたんですね。
 またアマモへの評価の変化も興味深く感じました。1931年、それまでは水中で厄介者扱いされていたアマモが突然真菌によって死滅してしまうと、アマモを餌としていた野生の渡り鳥(コクガンなど)や微生物が死滅し、その微生物を餌としていた稚魚、ロブスター、ハマグリなど漁業資源も減少してしまったそうです。その後、アマモが次第に戻ってきたときには、生物多様性のなかで果たしている役割が以前より理解されるようになっていたのだとか……。
 そして「第3章 イメージと比喩」では、文学・絵画作品では、雑草がいろいろな比喩・描写に使われていることを知ることが出来ました(素晴らしい絵などをカラー写真で見ることも出来ます)。その一例を紹介すると次のような感じ。
「小説のなかの街の風景に雑草が出てくると、たいていは不道徳な雰囲気を強調する。たとえば、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』(1912年)では主人公グスタフ・フォン・アッシェンバッハが狭い路地で道に迷い、小石や臭いゴミにまじって生えている雑草につまずく。これは彼が威厳を失ったことを表わしている。」
 ……なるほど。こんなふうに、とても効果的に使われているんですね。
 さらに「第6章 食材としての雑草」では、次のアドバイスが参考になりました。
「安全な食材を見分け、リスクを最小限にとどめるには、その植物の各部位を別々に試すといい。雑草のなかにはつねに細心の注意を払って扱わなければならないものもある。(中略)
 まずは肘の内側に葉をこすりつけて反応を見る。そのあと唇をこすり15分待ってから、小片を口に入れる。もし、焼け付く、まひする、しびれる、といった感覚があったらすぐに中止する。なにも問題がなければ小片を食べ、8時間待つ。少しでもおかしければ急いで吐けるだけ吐くこと。このテストが暗示しているのは、目の前にあるその植物が、時間のかかるいくつものテストをする価値があるかどうか、まっさきに判断しなければならないということだ。」
 ……なるほど……この知識が活かされる時は来ないことを祈りたいです(笑)。
 雑草は厄介者扱いされたり、食材や薬とされたり、時代や状況によって、その扱いはどんどん変わってきたようです。「第5章 役に立つ雑草」にも、次のように書いてありました。
「(前略)自然保護主義者の主張によると、アザミ、シャク、キンポウゲといった一般的な雑草は、除草剤や化学肥料を過剰に使用した農地を復活させるのにひと役買い、植物同士の複雑な関係を回復させ、種の多様性、そして最終的には自己再生可能な生態系をもたらしてくれる。いっぽう、雑草は私たちの願いを邪魔する害虫や病気の宿にもなるため、厄介者として非難されている。」
 雑草について様々な視点から解説してくれる本でした。植物の写真や、イラスト・絵画などのカラー図版約100点も、とても見ごたえがあります。植物が好きな方は、ぜひ読んでみてください。
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