『クジラのおなかに入ったら (ナツメ社サイエンス)』2021/11/16
松田 純佳 (著)

「クジラのおなかに入った」こともあるクジラ研究者の松田さんが、北海道大学やその後の研究生活を楽しく紹介してくれる本です。
 クジラの研究には、捕鯨調査やバイオロギングなどさまざまなアプローチがあるそうですが、松田さんが選んだのは、漂着したクジラを調べる「ストランディング」。本書には次のように書いてありました。
「私の研究テーマは、「クジラやイルカがいったい何を食べているか」だ。
 私がおもに使っている手法は、死んでしまった個体の胃を開いて、何を食べていたかを調べるというとても単純な方法だ。胃の中から魚やイカが、消化されてドロドロになった状態で出てくる。つまり、見た目ではなかなか餌の種類がわからないのである。クジラやイルカに興味があって、何を食べているかを調べているわけだが、最近では餌の魚やイカのことを考えている時間のほうがたぶん長い。」
「この本では、私がイルカやクジラの研究を始めるきっかけとなった出来事から、博士論文を提出し博士になり、そしてその後どう生きていくか、を綴らせていただいた。」
「打ち上がったイルカやクジラの調査は、思いどおりにいかないことも多いし、予想外の展開がよく起こる。しかしその一つ一つに意味があり、その一つ一つを積み上げていくことでようやく研究につながっていく。いつ打ち上がるのかわからないイルカやクジラを待ちながら、打ち上がったら可能な限り調査を行い、標本を積み上げる。これが私の日常だ。」
 北大鯨類研究会は津軽海峡で鯨類の目視調査を行っているそうですが、この海域ではカマイルカが最多で、シーズン平均で約9600個体、最も多くなる5月には約4500個体が来遊することが分かったそうです。
 松田さんは大学生の時に初めて自分でデータの統計処理をした時に、その重要さと難しさを知ったそうです。教官や統計の得意な学生にいろいろ教えてもらったとか。
「データが集まってきたら、やみくもに解析しようとしないで、まずはぼんやりそれを眺めてデータを吟味すること。データを吟味すればおかしい場所や違和感、なんとなくの傾向が見えてくる。その後、どういう解析を行うかを考えていく。それが二人から教わった、一番大事なことだ。」
 ……これ、本当に大事な教えです。そして「データにおかしい場所」があっても、簡単に排除してはいけません。集めたデータの中には、あらかじめ想像していた領域(仮説)を超えた「変なデータ」が入ってくることがよくあって、つい「これさえ無ければ……」と思ってしまいがちですが、測定装置の故障など本当に排除した方がいい正当な理由がない限り、勝手な排除は許されません。それをしてしまうと「科学的な研究」ではなくなってしまうからです。
 また松田さんは、データを集める段階での苦心も教えてくれます。それは「胃の内容物の分析」での話。
「イシイルカの胃の中からは黒くて硬くて複雑な形をした何かがたくさん出てきた。イカなどの頭足類のビーク(クチバシ)だ。」
 ……胃の内容物の調査の場合、食べたものは消化されてしまうので、消化しにくい部分だけが残るんですよね……その中からクチバシや顎や眼球などを見つけて部位ごとに分類し、次にそれが「何」のクチバシなのか、種の同定をするそうです……うーん、臭いもあるし、想像しただけでも大変な作業だ……。それには、次の注意点があるそうです。
1)嘘をつかない(分からないものを無理やり何かに決めつけない)
2)先入観をもって標本を見てはいけない(このあたりに多いのはこの餌だから、というような先入観をもたない)
 ……これも本当に大切なことですね。難しいことですが……。
 また「ストランディング調査」には、大変な苦労も伴うようです。
「ストランディング調査を任せてもらえるようになってから、ストランディングが発生すればすべての予定をキャンセルして調査に行く。」だけでなく、極寒や猛暑の中での調査、さらには底なし沼にはまって死にかけたということが何度かあるそうです。大きなツチクジラに包丁を入れたら、シューっと体内のガスが漏れ出して、でも60センチの大包丁を持ったままでは人がたくさんいる方へ退避もできず、その場でじっと耐えたことも……このように、どう考えてみても強烈に大変そうな「ストランディング調査」なのに、松田さんはすごく嬉しそうに書いているのです。
「クジラのおなかに入った」というのは、実はこういう大型のクジラの解体中でのこと。クジラやイルカが好きすぎて、もしや調査中に食べられかけたことがあるとか? とヒヤヒヤしていたのですが、クジラは大きすぎるので解体やサンプル採取のために、文字通り「おなかに入って」作業をする必要があるそうです。……そういうことか。それもまた大変ですよね(なのに、血で真っ赤ななかで「肋骨の付け根の怪網の美しさにうっとり」しています……本当に凄いです(笑))。
 この本は、生物研究の実態を詳しく(しかも面白く)教えてくれるだけでなく、クジラヤイルカの生態などの解説もしてくれます。例えば、「消化されてしまった魚の種同定には「耳石」を使う(耳石には成長層があるので年齢が分かり、代謝されないので生息環境や何を食べていたかが分かる)」とか、「食物連鎖の中で低次に位置する生物と高次に位置する生物とでは、高次の生物のほうが重たい窒素15の存在比が高くなり、餌となる低次の生物のほうが窒素安定同位体比が低くなる。また食物連鎖が存在する環境によっても、安定同位体比が異なる」とか……。いろんな意味で、生物に関する研究者をめざす方にとって、すごく参考になると思います。
 さて、こんなにも大変で、実りのある研究成果も出せる「ストランディング調査」ですが、なんと「ストランディング調査を仕事にすることは難しい」そうです。それを知った松田さんには、「北海道でストランディング調査を行う研究機関をつくりたい」という夢ができて、なんと実際に「ストランディングネットワーク北海道」をNPO法人化し、2021年からその副理事長として活動中なのだとか……出来立てのNPO法人の運営は大変だと思いますが、今後の活躍を期待しています。頑張ってください。
 イルカやクジラ(そしてその研究者)の生態を知ることが出来る、とても面白くて勉強になる本でした。みなさんも、ぜひ読んでみてください☆
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 なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。
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