『医学全史 ――西洋から東洋・日本まで (ちくま新書)』2020/12/9
坂井 建雄 (著)
医学はいかに発展してきたのか……古代から西洋伝統医学が続けてきた科学的探究は19世紀に飛躍的な発展を見せます。その萌芽期から現代までの歴史を辿る『医学全史』です。
「西洋から東洋・日本まで」という副題がついていますが、「東洋」はあまりありません。西洋医学史+αという感じでした(+αの部分はほぼ日本の医学史)。
また「過去の医療」の実情に関する記述はあまりなく、歴史に残っている医学記録の名前とその概要の紹介が多かった印象で、(西洋)医学の歴史をさらっと紹介してくれたという感じでした。瀉血や不衛生な医療現場、不適切な外科手術など、医療行為がむしろ健康を阻害した黒歴史もあったはずですが、過去の医療の治療効果がどの程度あったのかについては、あまり書いてありません。もっとも医療の歴史は長大過ぎて、詳しく書いていたら新書一冊に収まるはずもないので、仕方ないのかもしれませんが……。そういう意味で、この本は過去の医学から「教訓」を得るのではなく、過去の医学の名前や概要に関する「知識」を得るための本だと思います。
近代医学の源流となる西洋医学は、古代ギリシャから始まったそうです。なかでも古代ローマ帝国時代のガレノスの影響が、長期間にわたっていたようです。
「ガレノスは古代の医学文献を渉猟し、動物の詳細な解剖を行って、医学全般(人体、病気、医薬など)にわたって多数の理論的な著作をあらわし、中世・ルネサンス期には「医師の君主」として尊敬された。(中略)第一次のローマ滞在(162~166年)では公開の討論と動物解剖示説を行い、解剖学と生理学などについていくつか著作を著した。」
「ガレノスの解剖学はほぼそのままの形で16世紀のヴェサリウスの『ファブリカ』に引き継がれ、そこから科学的探究に基づく近代的な解剖学と医学が出発した。」
1500年以上もの間、ガレノス以外に目立った医学がなかったとは信じられませんが、活版印刷技術などがなかった時代には、知識の伝達スピードが非常に遅かったのでしょう。医学にも活版印刷は大きな影響を与えていたようです。この本にも次のように書いてありました。
「活版印刷は15世紀中葉にグーテンベルクにより開発されたが、16世紀にはいると多量の文書・著作が刊行されるようになった。そこからもたらされた情報革命は、一方では宗教改革を後押しし、医学にも新たな潮流をもたらした。
ヴェサリウスは『ファブリカ』(1543年)を著し、その精緻な多数の解剖図によって大きな衝撃を与えた。古代の医学文書の解読を中心としていたそれまでの医学に対し、人体こそが探求すべき対象であることを示した。人体解剖は最先端の科学となり、多数の新発見がもたらされた。」
そして、この本で最も興味深かったのは、21章以降の日本の医学史。西洋医学が日本にもたらされたのは、『解体新書』なのかと勘違いしていましたが、次のように、それよりずっと前に入ってきていたそうです。
「ヨーロッパの医学を日本に初めてもたらしたのはルイス・デ・アルメイダである。アルメイダは外科医の免許を持ち、アジアとの貿易で財をなし、1552年に来日の際にコスメ・デ・トーレス神父に出会って信仰を深めた。1555年に二度目の来日をし、イエズス会に全財産を寄進して修道士となり、日本での医療と布教に献身した。大友宗麟の援助を得て1557年に西洋式病院を開き、アルメイダが外科を、日本人医師キョウゼン・パウロと後にミゲル=内田・トメーが漢方を担当した。」
「オランダ語の解剖学書を翻訳した『解体新書』(1774年)は、西洋医学の内容を本格的に日本に伝えるもので、これを契機に西洋の医学書や自然科学書が多数翻訳され蘭学の発展に大きく寄与した。」
この他にも、日本の種痘の歴史など興味深い話を読むことができました。
「1840年代には種痘についての情報が中国経由で日本にもたらされ、広く知られるようになる。(中略)江戸の医師たち83名により設立されたお玉ケ池の種痘館(1858年)は、後に幕府の西洋医学所となり(1861年)、明治維新後に東京大学医学部に発展した。」
東京大学医学部の歴史は、なんと江戸時代の種痘館から始まっていたんですね。でも、それが最古の医学塾ではなく、日本の最古の医学塾は順天堂だそうです。
西洋医学を中心とした「医学全史」の概要を知ることができる本でした。興味がある方は、ぜひ読んでみてください。
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