『洪水と水害をとらえなおす-自然観の転換と川との共生』2020/5/29
大熊 孝 (著)

 日本人の伝統的な自然観に迫りつつ、今日頻発する水害の実態と今後の治水のあり方について考え、ローカルな自然に根ざした自然観の再生と川との共生を展望している本です。
 日本人の自然観は変わってきているが、それでいいのだろうかと問いかけています。この本の「はじめに」には、次の文章がありました。
「人々の生活が地域の自然と深くかかわるなかで育まれてきた「民衆の自然観」というべきものが、近代化とともに国家運営のための自然観へと変貌し、「民衆の自然観」が消失してきたことに原因があるように思われる。その「国家の自然観」を支えたものが、明治時代以降に輸入された近代的科学技術であった。西洋近代科学技術文明はヨーロッパの長い歴史の上に築かれ、自然と共生する側面も有する奥行きの深いものであると考えるが、日本の場合、その表層だけが「近代科学技術文明」として輸入され、明治時代以降の殖産興業、富国強兵、経済成長に中央集権的に活用され、自然を支配し、その恵みを収奪してきたのである。」
 著者の大熊さんは「ダム」には問題があると考えているようですが、個人的には、「ダム」には確かに功罪あるけれど、どちらかと言うと「功」の方が多いと思っています。毎年台風に襲われるだけでなく、水不足の年もある日本人が、「ダムという近代技術」を知ったなら、それを取り入れて被害を防ごうと考えるのは、とても合理的なことだったと思うのです。
 その一方で、この本で大熊さんが指摘している「自然との共生」もまた、とても大事なことだと考えています。「第1章 日本人の伝統的自然観・災害観とは」には、次のような記述がありました。
「たしかに豪雨や大雪は直接的な災害をもたらすが、これらがあるからこそ豊富な水が得られ稲作ができるし、洪水氾濫があるから肥料となる新たな土壌が置いていかれ、豊作が約束されてきた。私の若いころの水害調査での稲作農家の聞き込みでは、10年に一度ぐらいの氾濫は、収穫が得られなくとも、肥料を置いていってくれ、翌年からの収量が高くなるので、許容できるとのことであった。また、川の生態系は時々洪水が起こり、石礫が流れ、瀬や淵が形成されることを前提として営まれており、洪水による時々の攪乱なしには魚類の生息も持続しえない。その魚類などを食料としてきた人間にとっては、洪水も間接的に恵みの存在であったのである。」
 ……たしかに、これからは災害を完全に抑え込むのではなく、災害を含めた自然との共生を考えるべきなのでしょう。
「第4章 近年の水害と現代治水の到達点」には、次のことが紹介されていました。
「伝統的治水工法では、被害が相対的に少ないところに越流堤を造り、そこから洪水を氾濫させ、ほかの勝手なところでの破堤を防ぐという方法がよくとられていた。そうした究極の治水ともいうべき方法が400年前から存在していたのである。」
「ここ(筑後川右支川・城原川の「野越」)を越流した洪水は、そのまま下流に流れていくと、次第に流速を増して被害を大きくするかもしれない。そこで、まず越流してきた水を水害防備林で受け止め、溢れてきた水を上流へ上流へとゆっくり誘導し、隣の馬場川、さらに東の田手川に排水し、平野全体で氾濫を受け止めるという工夫がとられている。」
 また、関東にはとても広大な「渡良瀬遊水地」があり、昨今の台風などの洪水被害を防いでいますが、これはもともと「足尾鉱毒事件」による、鉱毒被害から首都圏を守るための工夫だったことを知りました。
「足尾の鉱毒は、残滓として渡良瀬川を流下して、江戸川にまで入り込んできたのである。それに対し、江戸川への流入を可能なかぎり防ぐことを目的に、渡良瀬川の利根川合流点付近に、谷中村を廃村にして、渡良瀬遊水地を造り、巨大な鉱毒溜めを造ることにしたのである。」
 越流堤や遊水地というのは、合理的で賢明な策ですね。
 また新興住宅での水害発生に対する次のような指摘にも、とても考えさせられました。
「氾濫地帯に強引に住宅街を造ったが、20年余りで廃墟にしてしまったということである。こういう開発を見ると、開発をした者も、それに許可を与えた者も、そしてそれを知らずに購入した者にも、すべてに責任があるように思う。」
 うーん……「知らずに購入した者」にまで責任があるのかなーとも思いましたが……、そもそも「購入する者」がいなくなれば、無理な住宅開発をする者はいなくなるのでしょう。もしも今後住宅を購入したくなった時には、しっかり「ハザードマップ」を確認したいと思います。
 ところで私はダムを見ると、いつも「土砂はどうなっているんだろう?」と疑問に感じていました。なぜなら私たちが多く住んでいる「沖積平野」を作ってきたのは川が運んできた土砂だったはずで、ダムはそれを堰き止めている存在だからです。この本にはその問題も指摘されていました。
「さらに問題なのはダムには土砂が堆積するということである。仮にこれらダム群が完成したとして、計画上は100年とか200年という時間が考慮されているにしても、下流における沖積平野の形成を考えれば、遅かれ早かれ100年もたたずして土砂で満杯になってしまうダムがほとんどということである。そうなれば当然、洪水調節機能はなくなってしまう。また、貯水池の末端は土砂が堆積して河床が上がり、水害が頻発するようになる。最近やっと、ダムの底に土砂吐け用の孔をあけたり、ダムをバイパスするトンネルを造って、土砂をダムの下流に流す工夫が始まっているが、(中略)まだ数基しかなく、抜本的対策にはなっていない。」
 ……やっぱり、そうだったんだ。堆積してしまった土砂も、「水の力」で土砂を受け止められる場所へと流し出せる工夫が出来るといいですね……というか、何か対策をしていかないといけないのでしょう。
 今後の治水対策として、大熊さんは次のように考えているようです。
「私は原則論として、毎年のように発生する常習的水害は克服すべきであると考えているが、数十年以一度発生するような大洪水に対しては、与えられた自然条件は甘受して、そのなかで治水対策を立てるべきであると考えている。」
「本来、自然と共生することを主眼とするならば、遊水地と越流堤を積極的に採用した治水計画を考えるべきであろう。しかし、平等民主主義を前提とする現代において、人口が集中する平野部で遊水地を選定することは難しく、膠着した治水計画を打破する方法として、この堤防強化による治水策しかないと考えている。」
 台風や地震などの自然災害に何度も襲われてきた私たちは、昔から利水・治水にさまざまな工夫を行ってきました。その工夫はどんどん「近代化」してきましたが、「ダム」などの建築技術やその維持管理の知識・経験が蓄積してきた現在、あらためて「昔ながらの治水方法」も見直すことで、より賢くて持続可能な「自然との共生」を考えるべきなのだと考えさせられました。
 水害からの防災を考える上でとても参考になる本でした。ぜひ読んでみてください。
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