『時間は存在しない』2019/8/29
カルロ・ロヴェッリ (著), 冨永 星 (翻訳)

 時間はいつでもどこでも同じように経過するわけではなく、過去から未来へと流れるわけでもない……理論物理学者のロヴェッリさんが、科学や哲学などの知見を通して「時間」について総合的に考察している科学エッセイです。
 第一部では、現代物理学が時間について知りえたことを概説してくれます。「物理学的には時間は存在しない」。時間という概念が崩壊してしまいます。
 第二部では、「時間がない世界」で私たちはどのように世界を理解するのかを考察します。
 そして最後の第三部は、私たちの慣れ親しんでいる「時間」を生み出した張本人を探っていくのです。
 実はこの本を書店で初めて見た時、『時間は存在しない』というタイトルで、直感的に連想したのがゼノンのパラドックス「アキレスは亀に追いつけない」。ああー……要するに「実際にやってみれば「追いつける」ことはすぐにわかるのに、論理的に説明しようとすると困難なことに気づく系の「ヘリクツ時間論」なんだろうなーと偏見を抱いてしまい、ずっとスルーしてきたのです(汗)。
 でも実際に読んでみたら、「物理学的には時間は存在しない」を説明している第一部がすごく勉強になりました(笑)。第一部は、最終的に次のようにまとめられています。
「時間は唯一ではなく、それぞれの軌跡に異なる経過時間がある。そして時間は、場所と速度に応じて異なるリズムで経過する。時間は方向づけられていない。過去と未来の違いは、この世界の基本方程式のなかには存在しない。それは、私たちが事物の詳細をはしょったときに偶然生じる性質でしかない。そのような曖昧な視野のなかで、この宇宙の過去は妙に「特別な」状態にあった。「現在」という概念は機能しない。この広大な宇宙に、わたしたちが理に適った形で「現在」と呼べるものは何もない。時間の持続期間を定める基層は、この世界を構成するほかのものと異なる独立した実体ではなく、動的な場の一つの側面なのだ。跳び、揺らぎ、相互作用によってのみ具体化し、最小規模に達しなければ定まらない側面……。だとすれば、時間の何が残るのか。」
 この「まとめ」に至るまでに、「アリストテレスの時間は、私たちがそれとの関係で自分自身を位置づけ得るものと同じ」で、「ニュートンの「真の数学的時間」は、重力場と呼ばれる伸縮自在なシートで曲がった時空」、そして「アインシュタインは、アリストテレスの時間とニュートンの時間を統合」したことが語られ、さらに「しかしアインシュタインの時間も十分ではなかった。なぜなら量子力学が存在するから。重力場も、それ以外のすべての物理的存在と同じように量子的な性質を持っているはず」ということなどが語られていきます。
 え? 時間も量子的な存在だったの? と、すごく驚いてしまいました。
「時計で測った時間は「量子化」されている。つまり、いくつかの値だけを取って、その他の値は取らない。まるで時間が連続的ではなく、粒状であるかのように。(中略)時間が「量子化される」ということは、時間tのほとんどの値が存在しないということだ。わたしたちが想像し得るもっとも正確な時計を用いてなんらかの時間の幅が計れたとすると、その測定値は特別ないくつかの値に限られていて、離散的であることが判明するはずだ。(中略)言葉を変えれば、時間には最小幅が存在する。その幅に満たないところでは、時間の概念は存在しない。もっとも基本的な意味での「時」すら存在しないのだ。」
 ……へー、そういう考え方があったんだ……。この他にも、時間に関する様々な考え方を、いろいろ知ることができました。……なんだか不思議ですね。「時間」ってヤツは、考えれば考えるほど分からなくなる存在のようです……。
 まあ、厳密な意味では(あるいは物理学的には)「時間は存在しない」ことが明らかになっているのかもしれませんが、個人的には、「時間は存在する」ことにしておかないと、他人と待ち合わせするのにも困ってしまいますし、タイマーをセットして時間通りにご飯が炊けてなければ食事も出来なくなってしまうのではないかと思います。だからまあ……私にとっては「時間は存在している」と思いたいのですが、万が一、理論物理学者と待ち合わせをする時には、その人が「時間は存在しない」と考えている場合もあることを、わきまえておくべきなのかもしれません(笑)。
「時間」に関する最新の物理学的知見や、哲学的な考察を知ることが出きる本でした。「時間」に興味のある方は、ぜひ読んでみてください☆
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