『万物創生をはじめよう――私的VR事始』2020/6/18
ジャロン・ラニアー (著), 谷垣 暁美 (翻訳)

 第一次VR(バーチャルリアリティ)ブームの立役者のラニアーさんが、VR開発の経緯と次世代への展望を語ってくれる本です。
 VRによる「万物創生」の方法を語ってくれる本だと思いきや……第一章はラニアーさんの少年時代から始まり、なかなかVRになりません(笑)。これはラニアーさんのこれまでの人生の記録でもあり、アメリカのIT業界興隆の一端を担ってきた技術者の記録でもあり、VRの解説でもあり、VRの第一人者のIT観を語った本でもあるのです。
 VRの技術的な解説はあまり多くはありませんでしたが、VRの先駆者ならではの苦労や試行錯誤、考え方などがとても参考になりました。
 また、80年代~90年代初頭のシリコンバレーの情景が、アップルやマイクロソフトのようなIT覇者とは異なる視点で書かれていて、それもとても興味深かったです。
 VRに関しては、随所で「VRとは何か」が提示されていて、その総数なんと52個! その一部を紹介すると以下のようなものです。
1)三つの偉大な二十世紀芸術である映画・ジャズ・プログラミングを織り交ぜた二十一世紀の芸術形態
2)大探検時代や大西部開拓時代を思いださせる尊大さを喚起する恐れがある新天地まがいのもの
3)夢見ることを伝えることができるかもしれないメディアへの期待
4)人と物理的環境との間のインターフェイスの代わりに、シミュレートされた環境へのインターフェースを用いること
5)人間の感覚器官と運動器官の鏡像。あるいは(お好みにより)人間の身体とあべこべなもの
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 ……どうやらVRは簡単に定義できるものではないようです(笑)。
 VRに関する技術的な解説はあまり多くはなかったものの、ところどころでキラリと輝くような記述が。
「理想的なバーチャルリアリティの枠組みは、感覚運動についての鏡だと考えることができる。お好みなら、人間の身体とあべこべなものであると言ってもよい。
 たとえば、VRの視覚的要素がうまく働くためには、バーチャル世界を見回したときに何が目に映るのか、計算する必要がある。あなたの視線が漂うとき、VRコンピュータは、バーチャル世界が本物であるとしたら、あなたの目が見るであろうグラフィック・イメージを、つねに、そしてできるだけ迅速に、計算しなくてはならない。あなたが右方に目をやれば、バーチャル世界は、その埋め合わせとして、左方に回転しなくてはならない。そうすることで、バーチャル世界が静止していて、あなたの外側にあり、独立しているという錯覚をつくりだすのだ。」
「究極のVRシステムは、人間がいかなることを経験するにも十分な数のディスプレイ、アクチュエータ(作動装置)、センサ、そのほかの装置を含むものになるだろう。いかなることをも経験するとは、実際上、完璧な現実感とともに、いかなる動物や異星人にもなれ、いかなる環境にも住み、いかなることもできるということだ。」
「ほかの人を見ているときに、よくよく注意していれば、わずかな頭の動きによる非常に多様なメッセージがあなたと相手の間を行き来していることがわかるだろう。すべての人々の間に、秘密の視覚運動言語がある。(中略)
 視覚が働くのは、変わらないものによるのではなく、追いかけて変化に気づくことによる。それゆえに、これから何がみられるかについて、神経系の予測が存在するのだ。」
 ……実を言うと、個人的にはまだVRを自分の生活に積極的に取り入れたいとは思っていません。かつてはドラゴンクエストなどのRPGゲームに相当のめり込んでいましたが(汗)、3D化してリアル感が増したりオンライン化したりし始めた頃から、なんとなく面倒になって疎遠になってしまっています。VRには3Dゲームと同じ印象を抱いているので、本当に生活に必要になるまで疎遠のままでいようかなーと思っていました。
 でも、VRにはいろんな効用(可能性)があるようで、学習や訓練の場面ですごく役に立ちそうです。例えばVRでジャグリングの訓練をする場面など……。
「バーチャルなボールのスピードを少しずつあげていくことで、本物のボールのジャグリングができるようになる、ということを私たちは悟った。それは身体的技能を学ぶプロセスから障害を取り除いていく方法だ。VRの中でそれをゆっくりとしたペースの容易なものにしそれからスピードをあげて、現実のものに近づけていく。この考えは、今では、先進的なリハビリの業界で広まっている。」
 こんな訓練法があるなら、誰でも楽しみながら上達できそうですね☆
 学習やリハビリの場面では大いに使ってみたいと思わされましたが、一方で、誰かに自分の「現実感」を操られることに、やっぱり、なんとなく怖さ(抵抗感)も感じないではいられません。「第五章 システムの中のバグ(VRの暗黒面について)」には、次の記述がありました。
「VRテクノロジーは本質的に、究極のスキナー箱のための理想的な道具だというものだった。バーチャル世界はまさに、最もまがまがしいテクノロジーになりうる。(中略)
 スキナー箱の構成要素とサイバネティック・コンピュータのそれとは本質的に同じである。(中略)
 VRがうまく働くためには、人間の活動を最大限に正確に検知することができなくてはならない。それができれば、フィードバックの形で、いかなる経験も創造することができるだろう。その結果、後にも先にもないほど邪悪な発明品だったということになるかもしれないけれども。」
 ……VRは人の精神を操るためのツールとして強力なパワーを持っていることを、忘れてはならないと思います。(なお、スキナー箱とは、「マウスが餌の出るレバーを押すように自発的に行動するようになることを観察する代表的な実験装置」です。)
 ラニアーさんは見た目がかなりファンキーな感じで、数学と音楽に早熟な才能を発揮してきた天才肌の人のようですが、ドラッグ信奉者と交流していても自らは決してドラッグをやらないなど意外な生真面目さもあり、VRの危険性を理解した上で開発しているというその真面目さが、これまでVRを悪用から守ってきたのかな、と感じさせられました。
 この本の中で、ラニアーさんはAI(人工知能)の危険性を危惧していて、VRはAIの正反対だと言っていますが……AIもVRも「非常に有用(有能)」であると同時に「非常に危険」な存在であるという意味で、両方とも同じ(用心して付き合う必要がある)ではないかと思ってしまいました。
 AIのどこがVRと「正反対」なのか、ちょっとわかりにくかったのですが、VRは人間が作り込んでいるもの(人間がコントロール可能)であるのに対し、AIは自ら学習し増殖できる自律性がある(人間がコントロールできない可能性がある)ことに危険性を感じているのでしょうか? でもVRには、「人間の内面に入り込んでくる」という別の危険性があり、それは、もしかしたらAIよりもっと不気味なのでは?
 現在はまだVRにはAIの技術が使われていないようだし、ネットにもつながっていないようですが、今後はこの両方と繋がっていくのではないかと思います(ずっとつながらないままでいて欲しいとは思いますが……)。VRもAIも、今後の人間にとって不可欠な技術になりそうなので、私たちはそれが悪用されないよう、注意深く見守っていくべきなのでしょう。
 VRとともにIT業界の歴史も知ることが出来る本でした。VRの草創期から開発に携わってきたベテラン技術者としての「VRデザイナー、アーティストへのアドバイス」も書いてあります。興味のある方はぜひ読んでみてください。
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 なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。
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