『人工培養された脳は「誰」なのか:超先端バイオ技術が変える新生命』2020/3/19
フィリップ・ボール (著), 桐谷 知未 (翻訳)

 ブタのなかで培養されたヒトの臓器、3Dプリンターによる臓器印刷、人工胚、人工精子……神の領域に到達しつつあるバイオテクノロジーがつくり出すそれは、はたして「ヒト」なのか? 自らの組織から人工培養した「脳オルガノイド」、いわば「ミニ脳」を目の当たりにした気鋭のサイエンスライターのボールさんが、先端バイオ技術をじっくり紹介・考察している本です。
 ボールさんは、認知症の研究のために、自らの細胞を提供したそうです。
「2017年の夏、わたしの腕から採取された小さな断片が、ミニチュアの原始的な脳につくり替えられた。(中略)試験管のなかで培養液に使ったわたしの体の一部を種として、八か月後には小さな脳に似たものができる。私自身の「ミニ脳」で、レンズマメくらいのニューロンの塊だった。それは接続し合って密なネットワークを作り、本物のニューロンと同じく互いに信号を送り合うことができた。思考していた、と言うつもりはない。おそらくその信号は、でたらめな火花、一貫性のない雑音にすぎず、何も意味してはいないのだろう。しかし、ミニ脳のなかで起こっていることをどう考えるべきか、本当のところは誰にもわからない。」
「わたしの「皿のなかの脳」が育てられたのは、<クリエイテッド・アウト・オブ・マインド>と呼ばれる大規模で野心的なプロジェクトの一環だった。認知症に対する一般大衆の認識を変え、病気を抱えて生きる人々に向けた芸術を基礎にしたケアの新たな評価ツールを開発することを目的に、2016~18年にウェルカム・トラストによって資金提供を受けたプロジェクトだ。セライナとクリスの願いは、そういう遺伝子突然変異を持つ人の組織から培養されたミニ脳の遺伝子の活動を調べることによって、原因についての理解を深め、最終的には治療につながる糸口を見つけることだ。」

 腕から採取した細胞が脳になる……かなり衝撃的な事実ですが、現状ではそれが「思考する脳」に育つことはないようです。そして法的には、それはすでにボールさんのものではないのだとか。
「驚いた(とはいえ少しも不満ではなかった)のは、わたしの線維芽細胞がいったん生体外で分裂してしまえば、もはや法的にはわたしの一部ではなく、細胞株と分類されるとわかったことだ。そのおかげで組織細胞を使う科学者たちは、個人(生死にかかわらず)のゲノムを持つ生体から得た知識に対して、知的所有権を主張できる。」
 ……そうなんですか。
 この本では、「ミニ脳」の話題だけでなく、最先端バイオ技術を理解するための基礎的な知識や、研究の現状などを分かりやすく紹介してくれます。
 なかでも参考になったのは、「遺伝子は、それだけでは役に立たない。複製できないし、進化が遺伝子に与えたように思える仕事さえできない。」ことを知ったこと。「そう、生命は細胞ではじまる。そして、だからこそ細胞のなかに存在して初めて、遺伝子は意味を持つ。」のです。
「(前略)胚発生は、まるで何かの設計図や指令書のように、最初からゲノムにコードされているわけではない。それは時間と空間に基づく遺伝情報の正確な発現に依存している。さらに、多くの細胞(母親の細胞も含む)の適切な協調にも頼っていて、実行中の偶然の出来事にも影響を受ける。」
「(細胞の分化に向けた)この精密な作業のすべては、細胞同士の対話を通じて起こる。分子のメッセージが細胞から細胞へ、それぞれ発達の適切な段階で渡され、細胞が周囲と協力して任務に就けるようにする。「各器官のさまざまな部位が、他の部位の形成を助ける」」
 ……DNAさえあれば、同じ生物を作れるのかと思っていましたが、DNAが同じでも「同じ生物」にはなれないようです。
「細胞複製は、単に染色体をコピーすることよりいくらか複雑なのだ。細胞に同一性を与えているエピジェネティックな染色体修飾もコピーする必要がある。」
「(前略)細胞系統にのっとった遺伝子変異はランダムだ。一方で、異なる細胞型と組織を生じさせるエピジェネティック修飾は、おおむね規則正しく、細胞のなかであらかじめ定められている。何があっても起こるわけではなく、無事に進行しているかぎりは発生プログラムの一環として決められているという意味だ。しかし、エピジェネティックな変化のなかには、あらかじめ定められていないものもある。そういう変化は、たとえば相互作用する遺伝子ネットワーク内の無作為性から生じた不測のイベントなど、細胞や生物の偶発的な環境に反応して起こるようだ。これは、同じゲノムを持つ一卵性双子が、だんだん違う容姿になっていくひとつの理由でもある。」
「クローンがDNAを供給した人物の「完全な」複製になるという考えすら、間違っている。先に触れたように、接合子の「遺伝的プログラム」は発生の可能性と偶然性によって濾過され解釈され、その結果を完全に予測することはできない。ヒツジのドリーは、1996年のクローニングの元になった雌ヒツジにそっくりというわけではなかったし、同年同じチームがスコットランドのロスリン研究所でドナー胚細胞からクローン化した四頭の雄ヒツジは、研究者たちによれば「大きさも気性もまったく違っていた」」
 ……クローンも「みんな違う生命体」なんですね。
 この本は、「腕の細胞から培養された脳」を端緒に、現在の先端バイオ技術の基礎知識から研究内容まで幅広く紹介してくれていて、とても興味深く読むことができました。ちなみに「ミニ脳」の「その後」は次のようになったようです。
「けれども、わたしのミニ脳は栄光の日々を終えた。クリスとセライナはそれを育てたあと、ホルムアルデヒトで固定し、ゲルに包埋して、染色と画像化のために切断した。あの生き物に対する心のケアの義務を怠ったとは思っていないが、あとを引くささやかな感情を、完全には振り払えずにいる。」
 現状では、「人工培養された脳」はすでに「わたし」とは言えず、法的にも研究者のもののようですが、「体細胞」から新しい人体を育てることは将来的には不可能ではないので、それが「誰」なのかを考えておく必要はあるのかもしれません。個人的には、「新しい人体」になった時点で、それは「その人自身」で、他の「普通の人間」とまったく同じ扱いになるべきだと思いますが……「どの時点で新しい人体になったとみなすのか」は、難しい問題かもしれません(臓器だけでも、新しい人体なのか?という意味で)。
 いろんなことを考えさせてくれる本でした。生物学や医学に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
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