『プレイヤー・ピアノ』2005/1/1
カート・ヴォネガット・ジュニア (著), Jr. Vonnegut Kurt (原著), & 1 その他

すべての生産手段が完璧に自動化され、すべての人間の運命がパンチ・カードによって決定される世界……アメリカ文学の巨匠ヴォネガットさんの傑作処女長篇です。
題名の『プレイヤー・ピアノ』は、ピアニストが機械(ピアノ)を用いて自分の美意識にかなった音の配列をつくりだす人間なら、自動ピアノ(プレイヤー・ピアノ)はあらかじめプログラムされた音をくりかえし送り出す機械であり、それがいったん完成されてしまえば人間は無用の存在となることを意味しているそうです。
この物語は、第二次世界大戦後のアメリカで、どんどん進んでいく機械化が、しだいに人間を奴隷的存在に追いやっていくという現代文明の行方を、ブラックな笑いのなかに綴っています。1952年に書かれたすごく古いSFなのですが、2017年現在のほうが、よりリアルにこの世界の怖さを感じられるような気がします。
「第一次産業革命が肉体労働の価値をなくし、第二次産業革命が単純な頭脳労働の価値をなくした」
「たぶん、第三次革命はそれだよ……人間の思考の価値をなくする機械。EPICACのような大型コンピューターは、すでに専門分野でそれをやってのけている」
「そして、機械よりもいい仕事ができないため自立していけない人間は、政府に雇われて、軍隊か、でなければ道路住宅補修点検部隊にはいるのです」
作中には、ブラックユーモアにくるまれた現代文明への批判が、ぞくぞく登場してきて……50年以上も前に書かれた作品なのに、まるで現代を批判しているかのよう……。
それでもこの世界、人間にとってまったく暮らしにくい世界というわけでもありません。「機械よりもいい仕事ができないため自立していけない人間」であっても、生活保障パッケージのおかげで、電子レンジや洗濯機などの機械をいつでも使えて生活水準は向上しているのです。機械のおかげで効率的に家事をこなせるようになった人間は、何もやる必要がなくて……結果的にTVばっかり見てしまうことになったとしても。……このエピソードには、人工知能によって人間の失業が懸念される未来予測のなかで検討されているベーシック・インカム(最低限所得保証制度)のことを彷彿させられました。
『プレイヤー・ピアノ』の世界では、人間は「有能な者(知能指数の高い科学者など)」と「無能な者(それ以外)」に分けられ二極分化しています。機械判定での試験に合格できない子供たちは、未来の希望を持てず、今現在は有能な者に分類されている人間も、脱落の危険に常にさらされているのです。
「いまの人間たちのおかれた状況がヘマもいいところなのは、重々わかっているが、それがあまりにも論理的かつ知的に到達された失敗であるだけに、はたして歴史がこれ以外にどんな道を歩むことができたろうかと、想像もつかないのだ。」
……21世紀初頭の現在、すでに『プレイヤー・ピアノ』の世界の一部が現実化してしまっているのは、予想された(運命的な)ことだったのでしょうか?
それでも一部の人間は、次のように考え、行動を起こしていきます。
「人間は、その天性から、自分が役に立っていると考えるような仕事にたずさわらないかぎり、幸福になりえないように思われる。したがって、人びとを、もう一度そうした仕事に帰らせなくてはいけない。」
……そして彼らが行動した結果は……。
「これが終わりじゃないんだよ。わかるね」彼はいった。「なに一つ終りになるものはないし、これからもないだろう――最後の審判の日ですらも」
「前へー、進め」
……とても考えさせられる不思議な傑作SF長編でした。読んでみて下さい。