『現金の呪いーー紙幣をいつ廃止するか?』2017/4/6
ケネス・S・ロゴフ (著), 村井 章子 (翻訳)

高額紙幣が脱税・犯罪・地下経済などを支えていること、現金が大胆なマイナス金利政策の邪魔になっていること……これらの弊害を縮小するために、「レスキャッシュ」社会への移行を、提案している本です。
なお、ここで提案されているのは、「キャッシュレス(現金のない)社会」ではなく、あくまでも「レスキャッシュ(現金の少ない)社会」への移行です。そしてその提案理由は、次の二つ。
理由1)現金(とくに高額紙幣)がなくなれば、多額の決済や高頻度の決済を匿名で行うことがむずかしくなり、脱税や犯罪の防止に大いに役立つこと。
理由2)「ゼロ金利下限」に直面した場合に中央銀行が効果的なマイナス金利政策をとるためには、現金をなくす(正確には大幅に減らす)ことが最もシンプルかつエレガントな方法だから。
ロゴフさんは、これらの主張の論拠などについて、「第1部 現金の闇」、「第2部 マイナス金利」、「第3部 グローバルな視点、デジタル通貨」で、丁寧に解説してくれます。
『現金の呪い――紙幣をいつ廃止するか?』というタイトルだったので、てっきり「暗号通貨」などの電子通貨への切り替えに関する話だと思ったのですが、主要な話はあくまでも「紙幣の段階的廃止(高額紙幣から順番に廃止)」であり、少額決済のために、最終段階でも「硬貨」だけは残ります。高額決済には電子決済を利用することになりますが、それを推進するのは国(政府・中央銀行)で、必ずしも「匿名性」を保証する必要はないと考えているようです。
そして紙幣の廃止は、長い期間をかけて段階的に行われるべきだとして、廃止に向けた次のような長期プランを提案しています。
1)紙幣の段階的廃止(高額紙幣から順番に廃止し、最終段階では少額紙幣を大型硬貨に置き換える)
2)金融サービスへのアクセス拡大(政府はすべての人に、基本機能を備えたデビットカードおよびスマートフォン用の口座を無料で提供)
3)プライバシーの保護(あくまでも多額の現金決済が秘密裏に行えないようにする目的で、規制や法的枠組みを整備)
4)リアルタイム決済(政府の投資で大半の取引がほぼリアルタイムに決済可能にする)

ちなみに、「紙幣の段階的廃止」はすでに、カナダ、シンガポール、スウェーデン、デンマークなどの国が始めているのだそうです。
そしてロゴフさんは、「経済規模の大きい先進国の中で、日本は高額紙幣を廃止する最初の国になってもおかしくない。」と言います。その理由は、「日本円の場合、国外で流通する度合いはドルとは比べ物にならないほど低いので、国外でのシニョレッジの喪失はほとんどない。」からだそうです。
「(中略)言うまでもなく、金融政策は万能ではない。日本の人口問題も、硬直的な移民政策も、金融政策ではいかんともしがたい。だが日本が長年にわたってデフレに悩まされていること、この問題の解決には徴税効率を高める必要があること、かつIT化が進んでいることを考え合わせれば、地下経済への現金供給を抑制し税逃れを防止する策を講じるのに、日本はまさに理想的な国と言えよう。レスキャッシュ社会へ移行する方法は一つではないが、おそらく最もシンプルで、最も非干渉的なやり方は、高額紙幣の段階的廃止であろう。なお段階的とは五~七年かけてゆっくり進めるという意味であり、まずは一万円札から始めるのがよいだろう。一万円札は、日本の通貨流通高のじつに九〇%以上を占めている。」
……なるほど。個人的には、「一万円札」が廃止されても、それほど困らないような気がします。すでに高額決済に関しては、ほぼクレジットカードか銀行振り込みで行っていますから。その理由は多額の現金を持ち運びしないですむという理由だけでなく、決済した事実が記録に残るので安心だから。そして最近は小口決済にもSuicaなどの電子マネーを利用することも増えてきたので、ATMで現金を下ろす回数も、かなり減ってきています。ATMで一万円札の代わりに五千円札二枚が出てくるようになるなら……その方がむしろ便利でいいなとすら思います。
だから一万円札が廃止されるのは困りませんが、五千円札が廃止されることになるのは、どうでしょうか? お財布がかさばって困るかも。さらに千円札もなくなって、硬貨だけになるのだとしたら……。
この場合、不安なのは「かさばる」問題だけではありません。一番の懸念は、「政府が信用できなくなったら、どうすればいいのか?」ではないかと思います。この本の最後の「解説 紙幣の哲学書を読んで」で、一橋大学大学院教授の齊藤誠さんも、次のように語っています。
「(前略)高額紙幣廃止は、地下経済活動への強力な牽制になるにちがいない。しかし、国家の側に明らかな正義がなければどうであろうか。(中略)第二次世界大戦中、日本の闇取引でも、日本銀行券は重要な役割を担った。当時、紙幣は、闇市場で自由な経済取引を実現する媒介であったのである。世界がpost-truthの時代に入って、各国の経済政策に普遍的な正義があるとは必ずしもいえなくなったときに、中央銀行が発行した紙幣や自主的に流通している暗号通貨は、合理性を著しく欠くような規制や統制を強く受けている正規経済に対するアンチテーゼとなり、非正規経済において自由な取引を実現する媒介として重要な役割を果たすのではないであろうか。」
この懸念が払拭されない限り、『現金の呪い』はなくならないし、むしろ、なくしてはいけないのではないでしょうか。
いろいろなことを考えさせられ、「現金」や経済について、新しい視点を与えてくれる本だったと思います。ぜひ読んでみてください。