『日本人は大災害をどう乗り越えたのか 遺跡に刻まれた復興の歴史』2017/6/9
文化庁 (編集)

文化庁企画、2016年東京都江戸東京博物館の連続講演会・「復興の歴史を掘る」の書籍化で、古代から災害の多かった日本で、人々がどのように災害と乗り越えてきたのかを教えてくれる本です。主な内容は次の通り。
1章 日本列島のなりたちと災害の記憶
2章 洪水からの復興――弥生時代
3章 火山災害からの復興――古墳時代・古代
4章 貞観地震からの復興――古代
5章 戦乱からの復興――中世
6章 江戸時代の大災害と時代の転換
7章 世界の復興の歴史を活かす
8章 津波教訓碑に学ぶ

大洪水を予測し竪穴住居の建材を持って逃げる弥生人、噴火被害から性急に復旧をはかる古墳時代の首長、対蝦夷政策のため貞観大地震の復興に力を注いだ律令政府、中世戦乱を契機に寺社門前が拡張した奈良町、大名手伝普請を利用した江戸幕府の復興バブル策など、災害遺跡の発掘調査や文書から、大災害から力強く復興してきた人々の姿が浮かび上がってきます。古代から日本人は、「へこたれずに復興」してきたんだなーと、ちょっと誇らしい気持ちになりました。
しかも火山噴火などの災害遺跡の発掘が、当時の状況だけでなく、日本の歴史をも教えてくれるそうです。例えば、鹿児島県の指宿橋牟礼川遺跡は、開聞岳の噴火による古墳時代の被害状況を教えてくれただけでなく、火山灰層を挟んで上層からは弥生土器が、下層からは縄文土器が出土したことで、古代の日本文化の順序を教えてくれたのだとか。
大阪府池島・福万寺遺跡では、弥生時代の水田の作り方を知ることが出来るのですが、なんとすでに弥生時代に、川の中に堰を作って水位を上げて、堤防上に掘られた水路に水を流すという工夫がなされていたそうです。

でも水田のある「水を得やすいところは、水に襲われる」場所でもあるそうで、各地の水田では何度も洪水被害にあっている痕跡が見られるそうです。
弥生時代後期の集落・大阪府の八尾南遺跡では、建物内から生活用具がほとんど出土せず、柱跡の状況から、洪水の直前に、柱や屋根などの建築部材をも携えて、他の場所へ移動して水害の難を避けたと考えられているとか。洪水がきそうだということを察知していたのかもしれません。古代の人々も、懸命かつ賢明に災害に対処していたのですね……。
その他にも、富士山の宝永噴火(1707)の際には、火山灰で荒廃した耕地を復旧するために「天地返し」と呼ばれる火山灰と旧表土を入れ替えることが行われたことが、発掘調査でわかっているそうです。
さて東日本大震災の時、宮城県では2000年前の弥生時代と、貞観11(869)年にも大きな津波があったことがクローズアップされました。貞観11(869)年の方は、『日本三大実録』などの記録が残っているそうです。火山噴火・洪水・津波などの自然災害は、同じような場所で繰り返し発生することが多いので、過去の記録から学ぶことだけでなく、記録を残して後世に伝える(警告する・改善の工夫をする)ことも、とても大切だと思います。例えば、京都府京丹後市の天然記念物「郷村断層」は、1927年の北丹後地震の時にできた断層ですが、地震直後に二か所で小屋がけをし、断層で横にずれてしまった小学校への通学路は、そのずれのままに現在も保存されているそうです。大きな自然災害の後の混乱した状況の中で、このような決断をすることはとても難しいことだと思いますが、こうした忌まわしい記憶の痕跡を残すことで、後世の人々に災害の状況を生々しく伝えることは、とても大切なことだと思います。
そして「7章 世界の復興の歴史を活かす」には、「復興のために非常に重要なのは、どんなものでもよいので、さまざまな記録をつくって誰もが見られるようにしておくことです。平成二五年、国会図書館と総務省は、東日本大震災に関するデジタルデータを一元的に検索できるポータルサイト「国立図書館東日本大震災アーカイブ(愛称「ひなぎく」)をつくりました。」と書いてありました。このような災害情報が、今後の防災(減災)に活かされていくといいなと思います。
地震国の日本に住んでいる以上、自然災害とうまく折り合いをつける術を、わたしたちみんなが磨いていく必要があるのでしょう。自然災害という視点から日本の歴史を学べる、とても興味深い本でした。ぜひ読んでみてください☆