『新編 風の又三郎 (新潮文庫) 』
(宮沢 賢治)
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突然やってきた転校生の少年と村の子供たちの心象風景を描いた物語で、宮沢賢治さんの代表作の一つです。
「どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも、吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう」
さわやかな九月一日の朝。教室に見知らぬ少年が座っていることに、少年たちは驚きます。少年は赤い髪をして、他の子供とは違う洋服を着て赤革の半靴を履いていました。
そのとき風がどうと吹いて来て、教室のガラス戸がみんながたがた鳴り、「ああ、わかった。あいつは風の又三郎だぞ」と嘉助が叫びました。
先生は、その子が転校生の高田三郎だと紹介してくれたのですが、子供たちは、風の又三郎(風の精霊のような存在)ではないかと思ったのです……。
風の音の詩とともに始まる『風の又三郎』は、谷川の岸の小学校に風のように現われて去っていった転校生に対する、子供たちの親しみと恐れのいりまじった気持を描いています。
(※ここから物語の核心にふれるネタバレがありますので、見たくない方は読み飛ばしてください)
地元の子供とは違う言葉、違う服装、違う文化で育った転校生(異分子)に対する、地元の少年たちの心の動きが、活き活きとリアルに描かれていて、とても心に残ります。だいたいの少年たちは、こいつ、本当は風の精霊ではないのか?と内心疑いながらも、いちおう仲間として受け入れていくのですが、中にはどうしても仲間に入れたがらない子もいます。転校生との関係は、多かれ少なかれ、リアルにこんなもんだよなあ、と感じさせられました。
こうして、さまざまな遊びや出来事を通じて描かれる少年たちの心象が、現実と幻想を交錯させながら描かれていきます。
強風の吹く季節にだけ現れた転校生の少年が、本当に風の又三郎だったのか、他の地方から来た普通の少年だったのかは明かされないまま、転校生は去っていくのですが、地元の少年たちの心には、「やっぱりあいづ又三郎だぞ」という気持ちが残ったようです。
あなたはどう思うでしょうか? ぜひ読んでみてください☆
この『新編 風の又三郎 (新潮文庫) 』には、他にも「やまなし」「二十六夜」「祭の晩」「グスコーブドリの伝記」などの16編が収録されています。
今回、読み直してみて、「グスコーブドリの伝記」は、農芸化学者で、農村青年指導者でもあった宮沢賢治さんの「火山噴火から人々を守りたい」「雨雲を使って適切な時期に、地元の畑に肥料の雨を降らせたい」という願いを具現化したSFだったのだなあと感じました。
主人公のブドリの勤務するイーハトーブ火山局は、多数の火山を観測していて、噴火を予知すると、溶岩などを海側に誘導して街への被害を防ぐ仕事をしています。
この話が、ブドリの自己犠牲のおかげで他の人々が救われるという結末を迎えるのは、叶わぬ望みを実現するためには、犠牲をささげる必要がある、と思い詰める気持ちがあったからなのでしょうか。