『ロボット法–AIとヒトの共生にむけて』2017/11/20
平野 晋 (著)

人工知能(AI)技術の進展で急浮上する数々の難問を、「制御不可能性」と「不透明性」を軸にときほぐして、著名文芸作品や映画作品等にも触れながら、ロボットがもたらしうる法的論点を総合的に整理・紹介してくれる本です。
IT技術の急速な発展に伴って、これまではSF作品の中だけの話だった「ロボットとの共生」が、しだいに現実味を帯びてきました。賢いロボットのおかげで、これからの私たちの生活が便利になっていきそうな反面、知能を持ってしまったロボットが、事故を起こしたら、ヒトを傷つけたら……と不安も感じてしまいます。人工知能で自律的に動くロボットは、人間社会のルールを、大きく揺るがしかねません。
この本は、ロボットのもたらす影響について、SF映画や文芸作品によって示唆される教訓をまじえながら、さまざまな視点で整理・紹介してくれます。著者の平野さんは、次のように言います。
「他の機械製品と異なり、特にロボット法をめぐって独立した研究分野が必要であると欧米において叫ばれている理由は、「制御不可能性」と「不透明性」にあると思われる。「制御不可能性」とは、ロボットが何をしでかすかわからないという意味であり、「不透明性」とは、なぜそのようなことをしでかしたかの理由がわからないという意味である。」
万物に魂が宿ると感じがちな私たち日本人は、伝説的人気漫画『鉄腕アトム』の影響もあって、ロボットにも融和的な感情を抱いてしまう人が多いと思いますが、傑作SF映画『ブレードランナー(1984)』、『ターミネーター(1984)』、『マトリックス(2003、他)』などを見てもわかるように、世界全体としては、ロボットを危険な存在と感じている人の方が多いのだと思います。そして「ロボット法」を考えるときには、「ロボットを危険な存在にしない」ために役に立つ法整備を考えていくべきだと思うので、私たちがロボットに抱く「懸念」を中心に考察していくべきなのでしょう。
「掃除ロボット」「自動運転車」「介護ロボット」など生活に入り込んでくるロボットだけでなく、体を持たないソフトウェアとしての「ボット」、さらには「ロボット兵器」など、ロボットの種類はいろいろあり、考察すべき法律としても、ロボットの不法行為をどう裁くか、量刑をどうするか、製造者側の「製造物責任(PL)法」、ロボットによる「名誉棄損」、さらにはロボットの著作権や財産権、ロボット憲法などなど、「ロボット法」を整備する上で考慮しなければならないことは、限りなくありそうです(汗)。
ところで、本書の「V シンギュラリティ・2045年問題」の中で平野さんは、「2000年問題」について、「大騒ぎになったものの、結局は何も起こらずに肩透かしな「予言」に終わった」「あまりにもわれわれの日常生活がコンピュータに依存していたために、コンピュータが一斉に誤作動した場合の影響力の大きさを恐れて過大な恐怖感とパニックに近い過剰反応を起こしたのかもしれない」と書いていましたが、「2000年問題」は確かに存在し、「関係者が大騒ぎして対処費用や作業を分担し、大勢のIT技術者たちがプログラムを書き換えて対処した」おかげで、「無事に乗り切れた」のです。そういう実状を知る者としては、あれが、一般の人には、「肩透かしな予言に終わった」と見えていたのか……とむしろ衝撃を覚えてしまいました。つまり、それほど「理想的な対処が出来た」ということなのでしょう(笑)。
それはともかく、今後もコンピュータやロボット(人工知能)が便利になればなるほど、私たちの日常生活はそれらに依存していくでしょうし、「2000年問題」の時とは、比較にならないほど複雑な問題が起きてくることが容易に予想されます。「2000年問題」は、1995年のような年号を下2桁だけで記述していたために発生した問題だと明確に分かっていたので、プログラムのその部分を書き換える作業で済みましたが、機械学習で育った人工知能の場合は、問題が発生した時に、「どこを修正すべきか」も明確には分からないのですから。
現時点ではまだ、幸いなことに(?)、映画のロボットほど「高度に自動化されたロボット」は存在していませんが、すでに自動運転車が公道を走り始めている現状を考えると、「ロボット法」などの整備は急務だと思います。そのためにも、「法律」と「IT技術(特に人工知能)」の両方に詳しい人材を、早急に育成しなければならないのではないでしょうか。
いろいろなことを考えさせられる本でした。私たちの未来の社会をよりよいものにしていくためにも、ぜひ読んでみてください。