『風船爆弾―純国産兵器「ふ号」の記録』
吉野 興一 (著)

第二次世界大戦で日本が開発した純国産兵器「ふ号」という風船爆弾に関する記録です。
巨大な風船に爆弾をのせて、アメリカ本土を攻撃する……風船の持つイメージから、幼稚な兵器、荒唐無稽な計画が想像されて、なんだかユーモラスにさえ感じてしまいましたが(汗)、この本を読むと、実はこの風船爆弾には、当時の日本の総力が結集されていたものだったことが分かります。
その計画から製造、実行までの全記録(一部推定)について、日米のべ300人の証言をもとに、その隠された実像に迫ったこの本は、使用された主な材料が和紙やこんにゃくで、製造に動員されたのが兵士ではなく全国の和紙職人や女学生たちだったせいか、その内容がすごく身近でリアルなもの感じられ、ともすれば自分とは無関係な遠い世界のものに思いがちだった戦争について、「戦争って本当に現実だったんだ」「第二次世界大戦って、本当に日本国民全体の総力戦だったんだ」ということを実感させてくれました。
和紙を利用したこの風船爆弾は、ほとんどすべての原材料が国内で調達されています。この純国産兵器「ふ号」の記録を通して、兵器も、普通の工業品も、実はほぼ同じやり方で作られることがよく分かり、銃器や手榴弾でドンパチしたり戦闘機で掃射したりする「戦争兵器を使用した戦闘」だけが戦争ではないのだなと、あらためて考えさせられました。
風船爆弾は、アメリカのB25爆撃機による日本本土への攻撃を契機に、アメリカ本土への反撃として計画され製造が開始されたものです。
軍の研究機関での数々の実験の後、設計仕様が決まって製造が決定されると、全国各地の和紙の産地で大量の和紙の製造が急ピッチで進められます。この時、材料の楮が不足してくると、軍の力で、最大の産地の高知県から各地に楮がすぐに届けられました。
風船用の和紙に求められることは、「薄くて丈夫なこと」。普通の紙漉きでは縦方向だけ揺らして製造していたそうですが、軍からの注文で、横方向へも揺らして製造するよう求められ、強度検査に合格しないものは返品されたそうです。
また接着剤として使われたのは、こんにゃく粉。軽くて防水性にも優れ、当時、入手困難になりつつあったゴムと違って、国内調達が可能だという利点もありました。
そして製造に動員されたのは、球皮の表面を傷つけずに組み立てられる柔らかい指の女学生たち。学校の講堂や体育館で、軍から強制されたノルマに追いたてられ、彼女たちは風船の球皮に空気がはいらぬよう指に力をいれて貼り合わせ、文字通り血のにじむ努力をして製造したそうです。
風船を浮かすための気体の水素は、溶鉱炉にケイ素を含んだケイ砂とクズ鉄を入れて溶解させて作ったケイ素鉄を、水酸化ナトリウムと混合し水を加えて発生させました。
さらに風船を飛ばすための気象研究。風船の滞空時間70時間と見積もっての耐久力実験。巨大風船は、夜間には高度一万メートルでマイナス五五度、日中は逆に直射日光により高温になり内圧があがる……という厳しい環境変化にも耐えなければならないのです。高度を維持させるための排気バルブ、観測用のラジオゾンデ、寒冷でも動作する電池、低温潤滑油など、さまざまな工夫が考案・改良され……風船爆弾には、その時に出来る最大限の叡智が結集されました。なんと爆弾投下後は、自爆して痕跡を残さないようにする研究までされていたのです。
巨大な風船をアメリカまで飛ばすという目標を達成するために、気象を調査し、風船の試作や失敗を繰り返すことで、問題を解決するための装置を作り改良していく姿に、日本の底力を見せつけられました。また戦争に勝つための努力は、意外にも(?)、新製品を開発する努力とほとんど同じなのだなと実感させられました……。
そして日本の敗戦が濃厚になってきた1944年11月、ついに放球基地からアメリカに向けて風船爆弾が放たれました。それから翌年4月まで、何千発もの風船爆弾がはなたれ、はるかかなたのアメリカ各地で爆発炎上しました。残骸が、オレゴンやカリフォルニア、アラスカやブリティッシュコロンビア(カナダ)などで見つかっています。
でも……この風船爆弾に象徴的に示されるように、さまざまな面で総力を結集した努力・戦闘をしたにも関わらず、日本は戦争に敗れました。日本はアジアの民衆に負け、アメリカの国力に負けたのです。
戦争当時、風船爆弾の製造にかかわった女学生の証言が、心に残りました。
「戦後も長いことアメリカ側の風船爆弾の犠牲者のことは知りませんでした。そして、一番の青春時代を兵器生産に働いた私たちも、ある意味で戦争の犠牲者だと長いこと思っていたんです、それが、オレゴン州の犠牲者(ピクニック中の一家六人が爆死した)の話を聞いてから、私も戦争の加害者のひとりなのかと知り、背筋がゾーとしたものです」
戦争は、人々に多大な傷を残します。
今後の日本が安易に戦争へ向かわないよう、この風船爆弾の記録を、教訓として活かしていければいいなと思います。