『夜と霧 新版』2002/11/6
ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)

ユダヤ人精神分析学者が、自らのナチス強制収容所体験をつづった本で、日本でも1956年の初版(原著の初版は1947年)以来、今でも読みつがれています。なお、この本は、著者のフランクルさんが1977年に新たに出した改訂版にもとづき、新しく翻訳した新版です。
フランクルさんは、悪名高いアウシュビッツとその支所に収容され、想像も及できないほどの苛酷な環境を生き抜き、戦争の末期に、ついに解放されました。
この本は、単なる収容所体験ではなく、精神分析医としての視点から、極限におかれた人々の心理状態を分析していきます。なぜ監督官たちは、人間を虫けらのように扱って平気でいられるのか、被収容者たちはどうやって精神の平衡を保ち、または崩壊させてゆくのか……。
もちろん自身も地獄を味わった被収容者なので、完全に客観的になれないことは当然ですが、当事者でもあり精神医学者でもあるフランクルさんによる考察は、臨場感にあふれて説得力があり、異常な環境での人間の心理状態の分析にも妥当性を感じます。
心理状態の分析は、「第一段階 収容(収容所に入れられた頃)」、「第二段階 収容所生活(奴隷的強制労働・飢餓・病気)」、「第三段階 収容所から解放されて」の三段階で行われます。
「第一段階 収容」では、楽観的予想にすがる気持ち、自分の人生を放棄する気持ち、やけくそのユーモアや好奇心、劣悪で悲惨な環境への慣れや、精神的自殺が分析されます。これらの異常な精神状態は、状況が異常なので、正常(典型的)な反応だと精神科医のフランクルさんは言います。
「第二段階 収容所生活」では、まず、ショック段階から感動の消滅段階への移行が語られます。これは実は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムなのだそうです。
劣悪な衛生状態、奴隷のような強制労働、飢え、人間性を否定されること……収容者たちは、自分や仲間の命を維持することだけに集中するようになります。そして内面(精神)世界への逃避や瞑想が始まり、記憶の中の妻と語らうことなどで自らの精神を保ちます。
これらの精神状態が、実際の生活のなかで非常にリアルに、でもとても冷静に語られていきます。被収容者たちが、親衛隊員(SS)の注意をひかないよう「群集の中に」まぎれこんで身を守ろうとする一方で、何もかもを共有している仲間たちから一時でいいから離れたいとも思うという気持ちには、共感せざるをえませんでした。
長い収容所生活で、フランクルさんは、自分はただ運命に弄ばれる存在なのだと感じるようになり、進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを決めることを回避したくなるようになります。
一方、空腹と睡眠不足は、感情の消滅といらだちを生みます。そして119104のような番号で扱われる収容所生活の中、堕落していくものも現れ、いざこざや乱闘が頻発します。
そしてサディスティックな性質の者は、収容者でありながら、カポーや収容所警官などの特権者として選抜されます。また収容所監視者も、主にサディスティックな性質の者から選ばれたそうです(監視者の中にも、善意のある人もいたようですが……その人もまた、別の苦しみを持っていたことでしょう)。
長い収容所生活は、終わりが見えないことも、被収容者の心に重くのしかかってきます。読んでいて戦慄したのは、ある人が「5月30日に苦しみが終る」夢を見たという話。生きる希望ができて良かったのでは、と一瞬思ってしまったのですが、彼は、5月30日になると重篤な譫妄状態に陥り、発疹チフスで死亡したそうです。希望が失われ、未来への意志が萎えてしまったのです……。
こんな地獄のような収容所ですが、被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験になったそうです。なかでも労働で死ぬほど疲れて、へたりこんでいたフランクルさんたちを、仲間が呼びに来て、太陽が沈んでいくさまを見るように急き立てた話には、心を打たれました。
沈みゆく太陽を見て、フランクルさんたちが言葉もなく心を奪われていると、誰かが言います。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
……美しいのは、自然だけではありません……どこにあっても、世界には美しいものがあるのですね……。
そして「第三段階 解放」。精神的な緊張の後を襲ったのは、完全な精神の弛緩だったそうです。そして猛烈に食欲を満たし、話さずにいられなくなり、感情がほとばしり出ます。
また、突然抑圧から解放されたために、精神的な潜水病になることもあります。それによる暴力的傾向、新しい生活で感じる不満や失意……。
フランクルさんの家族も、収容所で命を落としていました。その激しい喪失感をのりこえるのは、とても困難なことだったでしょう。それでもフランクルさんは、精神科医としての使命感で、このような素晴らしい仕事をなしとげてくれました。
タイトルの『夜と霧』とは、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人々がいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだそうです。
強制収容所などの歴史的事実に明らかなように、人間の中には闇(悪)と光(善)の両方があります。この『夜と霧』のようなことを二度と起こさないよう、自分の中の悪に負けずに、善を大切に育てていきたいと思います。フランクルさんが言うように、どんな状況であっても、自分がどんな精神的存在になるかの決断は、自分で下せるのです。尊厳を守る人間になるかどうかを決めるのは、自分自身なのです。
ところで正直に言って、この『夜と霧』は、読みたくて読んだというよりは、「読むのを勧められた」ので、仕方なく(?)読んだ本でした。強制収容所の残酷で悲惨な状況をあえて知りたいとは思わなかったからなのですが、読んで本当に良かったと思います。こんな長い感想を書いてしまった(汗)のも、同じように読むのをためらっている方に、せめてエッセンスを伝えたい、そして実際にこの本を読んで欲しいと思ったからです。
最後に、この本の中で一番感動したシーンの紹介をして、この文章を締めくくりたいと思います。
収容所で懲罰的な断食が行われた日の夕方、停電が起こりました。暗闇の中で、居住棟の班長に、どうしたら精神的崩壊でつぎの犠牲者(自殺者)が出るのを未然に防げるについて解説を依頼されたフランクルさんは、語りはじめます。
「とらわれのない目には、お先まっ暗だと映ってもしかたない。わたしたちは、それぞれに自分が生き延びる蓋然性はきわめて低いと予測しているだろう。にもかかわらず、わたし個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない。なぜなら、未来のことはだれにもわからない……。」
続いて、未来は未定だということ、苦渋に満ちた現在、過去の喜びを語り、最後に、生きることを意味で満たすさまざまな可能性について語ったそうです。
そして停電が終ったとき、フランクルさんは、涙をうかべてお礼をいうために、よろめき寄ってくる、ぼろぼろの仲間の姿を見ました……。
この文章は抜粋なので、できれば『夜と霧』の中で、全文を読んで欲しいと思います。ここにはとても書ききれないほどの、感動的な出来事、あるいは憎しみや喪失を感じないではいられない、さまざまな出来事や感情が描かれています。
すべての方に読んで欲しい本で、未来の世代へも、ずっと引き継いでいって欲しいと思う本です。