『ドン・キホーテ』2001/7/9
セルバンテス (著)、牛島 信明 (翻訳)

騎士道物語を読み過ぎて妄想にとらわれた初老の紳士のドン・キホーテが、古ぼけた甲冑に身を固め、やせ馬ロシナンテにまたがって、従者のサンチョ・パンサとともに旅に出るのですが、その時代錯誤した妙な言動と騎士らしからぬ肉体的な脆弱さで、行く先々で嘲笑の的となり愉快な騒動を巻き起こす、とても有名なユーモア小説。子どもの頃、児童文学で読んだことのある方も多いのではないでしょうか。数世紀も前の超・昔の物語ですが、時代を超えた面白さがある、セルバンテスさん(1547-1616)の代表作です。
(※ここから先は、物語の核心にふれるネタバレを含みますので、結末を知りたくない方は読み飛ばしてください)
この物語、もちろん私も子供の頃に読んだことがあるのですが、その時の感想は、実は、「期待したほど面白くない……」でした(汗)。間抜けな騎士と従者が、でたらめな旅をする面白話と知っていたので、すごく期待して読んだのですが、勘違いのあげく風車と戦うさまは、気が狂っているとしか思えず、やっていることも迷惑なことばかりで……ただのダメオヤジの旅行話という感想しか持てませんでした。もしかしたら「時代を超えるほどの、すごく面白い話」への期待が大きすぎたのかもしれません。
それでも「歴史的ユーモア」小説なので、このサイトで紹介するために、もう一度読んでみようと思ったら、なんと原本は、前編3冊、後編3冊という構成で、全体として文庫本6冊にもなる、すごい長編小説だったことを初めて知りました(汗)。子どもの頃、私が読んだのは子供向けの本一冊ぐらいだったのですが、記憶にある「風車との戦い」は、実は子供向けに再構成された話で、物語のほんの一部だったのです。
長さに驚愕しつつも再読を始めて記憶に残っている風車部分ぐらいまで進み、宿屋での騒動や水車との戦い……迷惑行為の数々に、確かにそれなりに面白いけど、うんざりもさせられて、こんな「頭おかしい」話が、延々6冊も続くのかあーと少しげんなりしていたら……読んだ記憶のないロマンスに狂った若者が登場してきて、なんだかちょっと変なロマンス小説っぽくなって面白くなり、果ては宿屋にあった本の中身(ドン・キホーテたちとはまったく無関係な話)の短編小説の話になってしまうなど、いろんな話がごった煮状態に! しかもうまい具合に、続きがすごく気になるところで、「続きは次回!」って感じに「じらされる」ので、意外にも「飽きずに」「もっともっと読みたい」気持ちにさせられました。たぶんあの有名な「風車との戦い」的な馬鹿話がずーっと続いたとしたら、こんなに歴史的な人気作にはならなかったと思いますが、意外にも(?)読者の人間的心理をうまく利用した巧みな構成だったことに感心させられました。
個人的には、「ウィット」系の知的ユーモアが好きなのですが、この作品の笑いは「ウィット」というよりは「ギャグ」、それも「こてこてのギャグ」です。ドン・キホーテとサンチョ・パンサの二人は、まさにボケとツッコミの漫才コンビそのもの。頭脳ではなく、感情を揺さぶる笑いなのです。しかも飽きてきそうなところに変化を持たせ、「そんなところで終わるなよ、気になるやんか!」と思わず呟かされてしまう、中断の巧みさは本当に名人芸。凄いです。
そして本書の中で一番笑ってしまったのは、実は前編の「序文」。序文は本文にハクをつけるための飾りのようですが、「序文を書くのに悩んでいる」という作者に、彼の愉快な友人が、「どうせ誰も読んでいないんだから、テキトウにでたらめを書いておけばいいんだ。それがバレたって、どうってことないだろ。もしかしたら凄いと思ってくれる人だって、いるかもしれない」というような意味のことを言い、現代の軽薄なメディア・マン的な人って、大昔からいたんだなーと大笑いさせられました。しかも、それをそのまんま掲載してしまうところが、凄すぎ、面白すぎ(笑)。いや、この愉快な友人の意見自体も、セルバンテスさんの創作なのかもしれませんが……。
ということで、意外にも(?)面白く読ませていただきました。
ところでこの物語、前編3冊でいったん二人の冒険は終わり、その二年後に「その後の冒険物語」としての後編が出版されるのですが、なんとセルバンテスさんの後編が出る前の年に、アベリャネーダという謎の偽作者が『贋作ドン・キホーテ』を出してしまうのです。現代でも、いわゆる「キャラが立っている」有名小説に、二次創作モノが出されてしまうことがありますが、これって大昔からあったのですね! (ちなみに、この『贋作ドン・キホーテ』も日本語訳で読むことが出来ます。二次創作に過ぎないので紹介する予定はありませんが、そこそこ面白い話でした。偽の作者は、序文できちんと「この本の作者はセルバンテスではない」ことを読者に教えているので、それなりに誠実なところもあるようです。)
実は「真作」の前編の最後で、「ドン・キホーテはその後、サラゴサで馬上槍試合に参加した」という物語の続きが示唆してあったのですが、『贋作ドン・キホーテ』は、ちゃっかりこの「サラゴサの馬上槍試合の話」を先に書いてしまうのです。
そこでセルバンテスさんはどうしたか。なんと後編の旅行先を変えてしまったのです。だから前編の最後に書かれていた「サラゴサの馬上槍試合」には、結局行かなかったことになってしまいました(笑)。それどころか、後編の物語の中では、この『贋作ドン・キホーテ』に、序文や本文で何度も言及しています。もちろん大半は批判的な表現になっていますが、「こんな贋作が自分の作品と間違われてはたまらない」という気持ちが強かったのでしょう。
物語の中でも「偽物のドン・キホーテの話が出回っていることに、本物のドン・キホーテも気がついている」ことになっていますが、こんなことが自然に出来るのは、物語全体がギャグに満ちているからだけでなく、前編にドン・キホーテたちとは無関係な短編が取り込まれているとか、ドン・キホーテの原作者はアラビア人の歴史家シデ・ハメーテ・ベネンヘーリだとして、セルバンテスさん自身はその資料をもとに書いている人になりすましたりするとか、「小説を作る過程」までが読者にさらけ出されているので、読者も「もう何が起こっても驚かない」状態にされてしまっているからなのでしょう(笑)。この手並みにも驚かされます。
しかも「贋作者の行為を許す」という意味のことも明言されていて、セルバンテスさんの度量の大きさにも感心させられました。というのも、『ドン・キホーテ』前編は好評でよく売れたとはいうものの、彼は金銭的にあまり報われず、お金に困った生活を送っていたようだったのに、こんな行為を許せたからです。
前編が内容的な面白さ・展開の意外さ(支離滅裂さ?)で楽しませてくれる一方、後編では「前編」や「贋作」をもネタにつかってしまうという斬新な小説手法にも驚かされる本でした。後編で重要な役割を演じることになる公爵夫妻をはじめ、多くの登場人物が「前編」の読者ですし、後編の最後の方では、なんと『贋作ドン・キホーテ』の登場人物のドン・アルバロが登場し、本物のドン・キホーテに、自分が出会ったのは偽物だったとして、「名前はまったく同じでありながら、することなすことがかくも異なる二人のドン・キホーテと二人のサンチョに出くわすとは、なんたる驚きでしょう。重ねて確認しますが、わたしはこの目で見たものを実は見ていなかったのだし、わたしの身のまわりに起こったことも実は起こりはしなかったんですね。」なんて言わせているんです(笑)。さすがです。
さらに・さらに……よく考えると、この『ドン・キホーテ』の物語、すごく教訓に満ちていて、教育的なんですよね! この「よく考えないと教訓話を読まされたことに気づかない」ところが、この作品の一番凄いところ☆ 面白く笑っているうちに、「騎士物語みたいなご都合主義の架空話を本当だと思い込むと、他人迷惑なだけでなく、自分の人生も破滅させてしまう」ことが、脳細胞にしっかりしみこむのです☆
さて、その教訓をみんなに教え込むために、著者によって馬鹿な行為をさせられてしまう主人公のドン・キホーテも、実は「騎士物語への狂信」以外はまともな人物で、周囲の人々にとても愛されている人物として描かれています。ドン・キホーテのやらかす迷惑行為の凶悪な破壊力を知っている者としては、どうして郷里の人々がこんなに彼の帰郷を熱望するのか理解しがたかったのですが(汗)、著者セルバンテスさんの愛がそうさせたのでしょう。こうした「人間愛」が根底に流れているからこそ、この物語が、これほど長期間、世界中で愛される作品となったのではないでしょうか。
子どもの頃は、「期待はずれだった」と残念な感想を抱いてしまった私ですが、これを読んだことで、架空の物語を信じてしまうと困ったことになることを痛感したことは、自分の成長にとって、本当に良かったと思います。原本は長すぎるので、私が読んだのと同じ子供向けの「風車バージョン」でよいので、ぜひお子さんにも読ませてください。そして大人の方は、この長編を読んでみてください。お勧めします☆