『科学の発見』2016/5/14
スティーヴン ワインバーグ (著)、Steven Weinberg (原著)、赤根 洋子 (翻訳)、& 1 その他

ギリシャの「科学」はポエムにすぎない……1979年のノーベル物理学賞を受賞したワインバーグさんが、テキサス大学の教養課程の学部生にむけて行った講義ノートをもとに綴った「科学の歴史」に関する本で、「観察」「実験」「実証」をもとにした「科学」が成立するまでの歴史を、現代の目線からじっくり(かなり批判的に)読むことが出来ます。
驚いたことに、古代の賢者として称賛されているアリストテレスやプラトンについても、彼らがいかに非科学的で間違っていたかがビシビシ容赦なく指摘されていくのです。単純に偉い人だと思っていた賢者たちが痛烈に批判されるのを読むと、ちょっぴり痛快な気分になり(汗)、また、目からウロコがぽろぽろ落ちていくような気もしました。……が、よく考えると、現代の基準からは「哲学者というよりも詩人に過ぎない」という辛口の評価になるとしても、やはりアリストテレスやプラトンは偉大な古代人(賢者)なのだと思います。だってその時代は知識の蓄積も少なく、測定機器も貧弱だったのですから。彼らの存在は、やはり人間の歴史にとって、マイナスよりもプラスの方がずっと多かったのではないでしょうか。
同じように「第十三章 最も過大評価された偉人たち」では、アリストテレスを脱却した新しい科学的方法論を打ち立てたとされる偉人、ベーコンとデカルトが厳しく批判されます。現代の目で見ると、ベーコンの考えには実効性がなく、哲学より科学で優れた仕事をしたデカルトも間違いが多すぎるのだとか。個人的には、両者とも、すごく偉大な哲学者だと思っていたのですが……。解析幾何という新しい数学的方法を考案し、科学者としても尊敬されてきたデカルトですが、著者によると、「純粋理性によって科学的原理を導き出すという、(デカルトの)『方法序説』に説かれているプログラムは決してうまくいかなかったし、いくはずがなかった。」そうです。
確かに……ギリシャの時代から「賢人」たちは、どちらかというと、「知性(理論)」は「経験(実験)」より格上だと考えていたようですが、現代からみると、アリストテレスのような賢者でも多くの間違いをおかしていたことは確かなので、「最高の知性による思考」よりも「多くの人々の批判にさらされ、実験データの蓄積で積み上げられてきた知識の集積」の方が、より実際的価値が高いことは間違いないと思います。
そして、ついに「科学革命」が起きたのは、十六~十七世紀。この時代になって、コペルニクス、ティコ、ケプラー、ガリレオの計算と観測で太陽系は正しく記述され、ケプラーの三法則にまとめられたのですが、この物理学と天文学の革命的変化が、現代の科学者から見て歴史の真の転換点になるそうです。
さらに「第十四章 革命者ニュートン」で「科学革命」はクライマックスを迎えます。
「ニュートンは過去の自然哲学と現代科学の境界を越えた。その偉大な成功で物理学は天文学・数学と統合され、ニュートン理論が科学の「標準モデル」に。世界を説明する喜びが人類を駆り立て、ここに科学革命が成った」のです。
この本は、偉大な過去の賢者たちに批判的な再評価を与えるという「新しい視点」で、科学の歴史を教えてくれます。かなり難しい内容なのですが、意外に読みやすく感じるのは、各章の冒頭に、その章の簡潔なまとめが、あらかじめ提示されているのも一因でしょう(実はその部分は、目次にも書いてあるので、目次を読むと内容の概観ができてしまいます)。ここを読んでから内容を読むと、理解しやすいと思います。
また天文学や物理学を中心にした科学史上の重要な出来事について、かなり詳しく記述されているので、科学の歴史を学ぶ上でも勉強になります。巻末には「テクニカルノート」として、本書で取り上げた歴史的発見の科学的・数学的背景の説明(図形や数式)もありますので、特に理科系の方には、とても参考になるのではないでしょうか。
この本は「ニュートン以前の科学史」に関する記述がほとんどで、ニュートン以降については、「第十五章 エピローグ:大いなる統一をめざして」の一章のみ。「ニュートン以後、さらに基本的な一つの法則が世界を支配していることがわかってきた。物理学は、量子理論で様々な力をまとめ、化学、生物学も組み入れた。大いなる統一法則をめざす道のりは今も続いている」という内容の概論しかありません。ニュートン以後、科学は、一冊の本ではとても扱いきれないほど長足の進歩を遂げたので、それ以降の動きについては概観するだけにとどめたようです。
さて、子供の頃は、数学や科学の授業でいろんな「法則」を覚えさせられ、「ああ、こんな法則がなかった古代人は楽で良かったなあ……」などという不埒な思いを抱いたものでした(汗)が、この本を読んで、これらの「法則」が獲得・承認されるまでに、人類が辿ってきた愚かな道を振り返ってみると……やっぱり知識はあった方がずっといいなと痛感させられました。知識の集積された法則を「学ぶ」だけで、愚かな間違いや失敗を避けることが出来るなら、それに越したことはないですよね(汗)。
そして「賢者」でも間違うことは大いにあったということは、私たちが現在、間違いのない「常識」だと思っていることにも、未来から見れば、「非科学的」とあっさり切り捨てられることが数多く含まれているのかもしれないと、考えておくべきなのでしょう。私たちは誰でもみんな「愚かなところがある」のだから、「仮説→検証」を繰り返して科学的知識を蓄積し未知なるものに立ち向かうとともに、教え込まれた「正しい(はずの)科学的知識」にも、もしかして間違いが含まれているかも、ということも忘れないようにしなければ、と思わされました。
ワインバーグさんは言います。
「政治や宗教とは異なり、科学的知識は蓄積されていくものである。アリストテレスよりニュートンの方が、またニュートンよりアインシュタインの方が、世界をよりよく理解していたことは、解釈の問題ではなく、明白な事実である。このような進歩をもたらした方法がどのようにして確立したかを理解するためには、過去の科学を現在の基準で評価して、進歩に貢献した思考法は何であったか、発展を妨げた思考法は何であったのかを反省する必要がある」
……いろいろなことを考えさせられ、とても参考になった科学の歴史書でした。ぜひ読んでみてください。