『Mr.トルネード 藤田哲也 航空事故を激減させた気象学者』2017/8/3
佐々木 健一 (著)

飛行機の墜落事故を未然にふせぐため、気象の謎を解き明かした気象学者の藤田哲也さんの伝記です(児童向け)。
彼は、飛行機が墜落する原因となる気象現象「ダウンバースト」を発見し、その後の飛行機の安全対策に大いに貢献しました。藤田さんが主に取り組んでいたのは、竜巻の研究。竜巻の大きさを分類する単位「F(フジタ)スケール」の原型を考案したのも、藤田さんだそうです。
さて、今では飛行機は、様々な交通手段の中で「最も安全な乗り物」の一つとされています。日本の調査では、航空事故で死亡する確率は、自動車による交通事故の100分の1以下と推計されています。でも30年までは、一年半に一度の割合で、100名を超す人々が突然、上空から地面へと叩きつけられ、一瞬にして命を失っていたのです。
1975年の6月24日、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に降り立とうとしていたイースタン航空66便が、滑走路への着陸に失敗し、乗員・乗客112名の命が一瞬で奪われるという悲惨な事故が起きました。事故の原因が機長らの操縦ミスで片づけられようとしていたことに危機感を覚えたイースタン航空は、謎の解明を、シカゴ大学の気象学者・藤田哲也さんに依頼しました。藤田さんは墜落時のデータを詳細に分析し、事故直前の無線通信に「風の急変(ウィンドシアー)」を伝えるものがあったことに着目。ところが墜落原因として強く疑われる風の急変が発生していたようなのに、空港で計測された風はごくわずか。この謎の風とは一体何か……藤田さんの脳裏に、ある光景が浮かびました。それは1年前に上空から撮影された、森に残る不思議な跡。竜巻発生時の被害写真の中に、「旋回した跡のない、上から押し付けられたような星形」に木々が根こそぎ倒されていた写真が含まれていたのです。……これは風ではない。衝撃波(ダウンバースト)だ!
そしてそれはまた、藤田さんが1945年に調査した長崎の原爆調査を思い出させるものでもありました。
その後、藤田さんは、イースタン航空66便の事故原因を「ダウンバースト」だと発表しましたが、気象界から激しい反発を浴びました。なぜなら当時、ダウンバーストを見たものは誰一人いなかったし、一度も観測されたことがなかったからです。
ダウンバーストの存在をどう証明すればいいのか……悩む藤田さんに、開発されたばかりの「ドップラーレーダー」を使ってくれという申し出があり、彼はドップラーレーダーを使って観測を始めます。そして……ついに「ダウンバースト」の探知に成功、写真撮影にも成功し、こうして、航空事故を未然に防ぐために、マイクロバースト探知用のドップラーレーダーが、主要な空港に設置されることになったのです。(この辺りの経緯はすごく面白いので、ぜひ本書を読んで確かめてください。)
こんな偉業をなしとげた藤田さんですが、実は18歳の卒業間際に結核で父親を亡くし、進学も危ぶまれた時がありました。でも、彼の優秀さを惜しんだ学校長が奨学金を受けられるように動いてくれたおかげで、幸運にも進学することが出来たのです。藤田さんは、その後も困難に遭遇するたびに幸運に助けられて来たようですが、この本を読むと、それらの幸運を呼び寄せたのは、学問や研究へ向けた彼自身の真摯な姿勢ではないかと思わされます。
また彼は、いつも「なんでも鵜呑みにせず、疑い、徹底的な観察を通して物事の本質に迫って」いたのですが、それは、20歳の頃、松本教授の研究助手として地質調査に同行した時、松本教授が地図を見ながら歩くのではなく、地図の誤りを訂正しながら地質調査をしている姿に、感銘を受けたからでした。
徹底的に観察し、既成概念にとらわれず独創的な発想をし、合理的な推論&実験での確認を行う……研究者のあるべき姿を教えてくれた藤田さん(なんと亡くなる前には、自分の病状の記録までとって報告書としてまとめていました)。最後に、彼が講演で、次の世界を担う若者たちに送ったメッセージを紹介させていただきます。
「私の生涯は、気象学の世界にありました。いつも厳しい自然現象を目にしてきました。自然は、いつもやりたい放題です。時に不可思議なこともする。でも、私は何をするときも、原爆調査とこれまでの経験を思い返すことにしていました。(中略)特に、若い世代に言いたいのは、『恥ずかしがらずに、言いたいことを言いなさい』ということです。その半分は間違っているかもしれません。しかし、残り半分は正しいかもしれない。もし、あなたの主張の50%が正しければ、価値ある人生を送ったということです。幸運を祈ります。」