『憑かれたポットカバー: クリスマスのための気落ちした気色悪い気晴らし』2015/12/18
エドワード ゴーリー (著), Edward Gorey (原著), 柴田 元幸 (翻訳)

地元でもよそでももっぱら「ロウアー・スピゴットの世捨て人」で通っている男の部屋に、クリスマスの夜に突然あらわれた大きくて変な虫。そして次々に現れてくる三人の幽霊……ゴーリー風味にアレンジされた『クリスマス・キャロル』。ゴーリーさんらしさが爆発する、面白くて気楽に楽しめる素敵な絵本です。
(※ここから先は、物語の核心にふれるネタバレを含みますので、結末を知りたくない方は読み飛ばしてください)
さて、この本は、ゴーリー風味にアレンジされた『クリスマス・キャロル』なのですが……、確かに三人の幽霊に案内されて、男と変な虫が、いろんな場所につれていかれて、いろんな情景を見せられるけど、それ以外はどこも『クリスマス・キャロル』じゃないような……(笑)。
けちな老人スクルージ役のはずの「世捨て人」の男は、きちんと背広を着こなした結構スマートな男だし、紅茶を淹れたはずのポットカバーから現れた虫は、何のために出てきたのかも意味不明。いや……本人(虫)は「教訓主義の効用を広めるべきここへ来たのである」と言ってはいるのですが、三人の幽霊に連れていかれた先で、仕事やゲーム中に体を痛めた人たちに出会うと、威嚇的な口調で「そういう真似は沢山であった」と何故か言い放つのです(笑)……教訓にならないから? そもそも何が教訓なの? もっとも「訳者あとがき」によると、この虫は『クリスマス・キャロル』で進行役をつとめる精霊の役割を務めているそうで、それが「虫(bug)」になったのは、改心前のスクルージの口癖「ふん、馬鹿馬鹿しい(Bah! Humbug!)」からきているからなのでしょう、ということでしたが……。
しかも男と虫が、三人の幽霊に連れていかれる先の情景も、何やら意味ありげなような、まったく意味はないような……なんだかちょっと情けない感じがじわっと滲んでいる妙な情景ばかり。
「我はありもしなかったクリスマスの幽霊である」「胸に迫る情景をお前たちに見せにきたのである」
「我はありもしないクリスマスの幽霊である」「胸の痛む情景をお前たちに見せにきたのである」
「我はありもしないであろうクリスマスの幽霊である」「胸を裂く情景をお前たちに見せにきたのである」
……胸に迫る? 胸が痛む? 胸を裂く? これが? どこが?
えー……この本の持っている(はずの?)教訓は、それぞれが見つけてください(笑)。参考までに、私の見つけた教訓は、「クリスマスに教訓なんか、いらないだろ」でしたが、変な虫に、すぐさま威嚇的にばっさり切り捨てられました。
「そういう真似は沢山であった」
……失礼しました……。