『こころの処方箋 (新潮文庫) 』1998/5/28
河合 隼雄 (著)
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臨床心理学者の河合さんが、普段、私たちがこころのどこかでは納得していても、なかなか言葉にできないような常識をエッセイとしてまとめた本です。
「人のこころなどわかるはずがない」、「危機の際には生地がでてくる」「『理解ある親』をもつ子はたまらない」、「心の支えがたましいの重荷になる」など、カウンセラーとしても活躍する河合さんの豊富な経験から紡ぎだされてくる考え方や出来事が、4ページずつのエッセイになっていて、これを読むと、心の凝りがじんわり解きほぐされていくような気がします。
なかでも「言いはじめたのなら話合いを続けよう」のエピソードで、日本の美徳に従って「黙って耐えて」きた人は、何かを言うときに「最後通告」のように行って、それが話の「はじまり」であることに気が付かないことが多いという話には、はっとさせられました。「黙っているのは辛いことだ。だからといって、発言すれば楽になるなどというものではない。自分の意見を言うだけでなく、相手の意見も聞き、話し合いを続けるのは、黙っているのと同じぐらい苦しさに耐える力を必要とするだろう。どちらをとるにしろ、人生というものは、それほど楽なものではないのである。」……やっぱり、そうですよね(汗)。
ところで心理カウンセラーというと、大学で専門的に学んでいるのだから、少なくとも占い師よりは「人間の心が読めるのかもしれない」と思ってしまいますが、河合さんも、「臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではないかと、よく言われる」そうです。でもそんなことは、もちろんなくて、「人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である、などと言ったりする」のだとか(笑)。
実際、この本を読んでも、ごくごく常識的なことが書いてあり、「ストレスで悩んだら、こうして発散しよう」とか、「家庭内暴力に困っていたら、こうしよう」というようなノウハウを、教えてもらえるわけではありません(汗)。むしろ「人のこころなどわかるはずがない」ということだけが分かります(汗、汗)。
でも、それが一番大事なことなのかな、とも思わされます。
河合さんの言う、「「心の処方箋」は「体の処方箋」とは大分異なってくる。現状を分析し、原因を究明して、その対策としてそれが出てくるのではなく、むしろ、未知の可能性の方に着目し、そこから生じてくるものを尊重しているうちに、おのずから処方箋も生まれでてくるのである。」という態度が、心理カウンセリングの基本なのかもしれません。
本の最後には、河合さんのよく使う「三つの言葉」に関する谷川俊太郎さんの文章(解説のようなもの?)があり、河合さんのよく口にする三つの言葉「分かりませんなあ」、「難しいですなあ」、「感激しました」を始めとするエピソードなどが紹介されています。その中の文章が、心に残りました。
「河合さんはいつか私に向かって「ぼくは管みたいなもんですよ」と言われたことがある。管であるということは、他者に向かって最大限に心を開いているということだろう。だが、無私は自分をなくしてしまうことではない。そんなことは誰にも出来ないだろう。既成の価値基準や倫理に縛られた自分から離れて、性急な判断をせずに人の心に自分の心を共振させる、これが無私だと思うが、河合さんはそんなときも自分の心を押さえつけたりはしない。怒りを感じたら正直にそれを出されるという。そんなことももうこの本にちゃんと書いてある。「己を殺して他人を殺す」。」
……人の心を完全に理解することなど誰にもできませんし、人をその人自身にとって望ましい方向へ向かわせることが出来るのも、その人自身以外にはいないのだと思います。
「ぼくは管みたいなもん」
……カウンセラーは悩める人の心の中に溜まった闇のガスを、管のようなものを通してゆっくり抜いていき、彼ら自身に自分の方向性を見つけ出させる……そんな仕事なのかもしれません。
大人向けのエッセイ集ですが、青少年のカウンセリングの話もあるので、中学生など思春期の方にもぜひ読んで欲しいと思います。これからの人生で、直面するかもしれないトラブルに立ち向かうための、心構えみたいなものが得られるかもしれません。